映画「ビル・エヴァンス タイム・リメンバード」は、ジャズピアノの詩人と評され、多大な影響と人気を誇っていたビル・エヴァンスという人物の人生を、本人の映像や関係者の証言などを集めて制作したドキュメンタリー映画です。
「時間をかけた自殺」と評された晩年、大切な人の度重なる死、そして後世に語り継がれる名曲の数々。
今回は映画「ビル・エヴァンス タイム・リメンバード」のネタバレ感想・解説を書いていきます。
目次
映画「ビル・エヴァンス タイム・リメンバード」を見て学んだ事・感じた事
・ビル・エヴァンスが残した素晴らしい音楽の数々を体験できる
・度重なる悲劇と苦難に満ちた人生の中で「時間をかけた自殺」と評された晩年
・劇中に流れるBGMが素晴らしい
映画「ビル・エヴァンス タイム・リメンバード」の作品情報
公開日 | 2019年4月27日 |
監督 | ブルース・スピーゲル |
出演者 | ポール・モチアン ジャック・ディジョネット ジョー・ラバーベラ チャック・イスラエルズ ゲイリー・ピーコック |
映画「ビル・エヴァンス タイム・リメンバード」のあらすじ・内容

アメリカのジャズ界で圧倒的な人気を誇っていたピアニストのビル・エヴァンス。彼の生い立ちから、キャリアのスタート、そして輝かしい作品の数々を本人の映像や関係者の証言によって紐解いていくドキュメンタリー映画です。
さらには「時間をかけた自殺」とまで評された晩年。彼の栄光とは裏腹に薬物依存、兄や妻の死がどのように彼を苦しめていったのか。
ビル・エヴァンスという人物の人生を辿っていく内容になっています。
映画「ビル・エヴァンス タイム・リメンバード」のネタバレ感想

映画「ビル・エヴァンス タイム・リメンバード」は、ビル・エヴァンスの人生を誰かが演じるというタイプのドキュメンタリー映画ではなく、本人の映像や関係者の証言を交えながら彼の人生を解き明かしていこうという内容の映画です。
劇中では、終始ビル・エヴァンスの素晴らしい名曲たちがBGMとして使用されており、それを目を閉じて聴いているだけでも至福の時間を体感することができるでしょう。
さらには、天才ジャズピアニストと称されたビル・エヴァンスの波乱万丈の人生も注目ポイントです。薬物依存や大切な人の死、そして苦悩に満ちた晩年も含めて、才能を持って生まれた人物の人生には、見るべき価値のある物語があるのだと感じさせてくれます。
ビル・エヴァンスが好きな人、ジャズファンはもちろん必見の映画ですし、詳しくない人でも惹かれるような旋律と彼のとんでもない人生は見逃せません。
ここでは、映画「ビル・エヴァンス タイム・リメンバード」の感想を1つ1つの項目に分けて書いていきます。
【解説】ビル・エヴァンスの生い立ちからキャリアスタートまで

まず、映画はビル・エヴァンスの生い立ちからスタートします。彼は1929年アメリカニュージャージー州のプラインフィールドに生まれます。
兄のハリーと共に、幼少期からクラシック音楽を学び、徐々にジャズに興味を持つようになります。
この年代の時期にクラシックの素養を得ていたというのは、ビル・エヴァンスの音楽活動を語る上で重要な時期であったことは間違いありません。情感に溢れる旋律、そして正確なコード進行、技術・才能ともにトップクラスであった彼のルーツが描かれています。
1944年にサウスイースタン・ルイジアナ大学に進学し、音楽教育を専攻します。このときには、アマチュアミュージシャンとしての活動も積極的に行っていました。
大学卒業後、1951年からアメリカ陸軍での兵役へと向かいます。戦争に駆り出されることはなく、陸軍バンドでの活動を行っていました。また、このときにドラッグの常用が始まったといわれています。
退役後はビル・エヴァンスはジャズの中心地でもあるニューヨークに渡り、音楽活動をスタートされます。徐々にピアニストとしての才能が認められていき、知られていくようになっていきました。
これが映画の中で語れるビル・エヴァンスの生い立ち、そしてジャズピアニストとしてのキャリアのスタートになります。振り返ってみると、生まれてからここまで音楽漬けの人生を歩んでいることがわかります。
兵役を強いられた時期もありましたが、基本的にどの時期でも音楽に携わっていることがわかります。そして、兵役時代に始まったドラッグの常用がその後彼の人生を狂わせていくことも重要な要素として語られます。
【解説】マイルス・デイヴィス期
ジャズピアニストとしてキャリアをスタートさせたビル・エヴァンス。さまざまな音楽家の録音に参加していく中で、実力が認められていきます。
そして、彼の人生の転機となる出来事がおきます。1958年マイルス・デイヴィスのバンドへのスカウトです。マイルス・デイヴィスは「モダン・ジャズの帝王」とも呼ばれており、当時のジャズ界を牽引していた存在でもありました。
そんな彼が率いるバンドにピアノとして加わったビル・エヴァンス。この時の経験がその後の創作活動に重要な影響を与えています。ただ、ビル・エヴァンス自身がバンド唯一の白人であったことや、ドラックを常用していたことなどを理由にバンドから脱退してしまいます。
しかし、それでもマイルス・デイヴィスからピアノの実力を認められていたため、1959年にリリースされた「カインド・オブ・ブルー」のセッションに参加します。
このアルバムは当時のジャズ界に多大な影響を与えたといわれている名盤で、演奏技術の高さもさることながら、革新的な音楽性、モード・ジャズの方法論の提示など、さまざまな方向性で高い評価を得ていました。
この「カインド・オブ・ブルー」の制作において、ビル・エヴァンスのアイデアは不可欠であったと語られており、彼の影響が色濃く反映されているアルバムでもあります。
【解説】ビル・エヴァンス・トリオ期
マイルス・デイヴィスのバンドへの参加を契機に、名前をあげたビル・エヴァンスでしたが、彼自身はパンドメンバーとしてではなく、バンドリーダーとしての活動を希望していました。
そのような中で1959年ドラマーのポール・モチアン、ベーシストのスコット・ラファロをメンバーに加えトリオを結成します。才能に溢れるメンバー同士の即興的なインター・プレイもさることながら、新しいピアノトリオとしての方向性を世に示したバンドでもあります。
これまでのジャズバンドでリズム・セクションをになってきたピアノやベース、ドラム、いわば中心的存在のトランペットを支える道具としての存在だった彼らが、このトリオでは主役としてこれまでにないジャズを提示していきます。
そして、ビル・エヴァンスのピアノはもちろんですが、ベースのスコット・ラファロも特質すべき実力を持っており、彼らが互いに影響し合うことによって、従来の枠にとらわれない新しいスタイルを形成していきます。
その中で誕生したのが「ワルツ・フォー・デビイ」です。こちらもビル・エヴァンスを語る上では外すことのできない名盤です。マイルス・デイヴィスのバンドに参加して制作した「カインド・オブ・ブルー」もありますが、ビル・エヴァンスが中心となって制作したアルバムとしては、これが代表的な地位を占めています。
しかし、この「ワルツ・フォー・デビイ」の収録からわずか11日後、ベースのスコット・ラファロが交通事故によって死亡してしまいます。ビル・エヴァンスは深く悲しみ、ショックでピアノに触れることすらできなかったと言われています。その影響でトリオの活動は停止してしまいます。
劇中の映像などからは、ビル・エヴァンスにとって、スコット・ラファロは友人としてはもちろんですが、音楽を通じて深く理解しあった関係であったと感じられました。
そのような人物を亡くしてしまったというのは、大切な人を失うという悲しさと同時に、同じような音楽が二度と生まれないのではないかという失望もあったのかもしれません。
さらに、この時期からビル・エヴァンスのドラック常用はエスカレートしていきます。ヘロインを常用し、お金もないような生活をしていました。
【解説】トリオの再結成とさらなる悲劇

ビル・エヴァンス・トリオは1966年にベーシストとしてエディ・ゴメス、1969年にドラマーとしてマーティー・モレルを加入することで再始動します。この構成によるトリオはビル・エヴァンスのキャリアの中でも歴代最長でもあり、数々のアルバムがリリースされています。
また、この時期に前後してビル・エヴァンス内縁関係であったエイレンがいたのですが、ツアー中に親しくなったネネットとの結婚をしようとする一方的な裏切りをしてしまったため、ほどなくエイレンは地下鉄へ投身自殺をしてしまいました。
ビル・エヴァンスにとっては、スコット・ラファロに次いで、再び大切な人を失った形になります。
そして、これらの時期には薬物の常習による影響や悲劇なども影響してか、音楽性が次第に破壊的かつ孤独な側面を見せるようになっていきます。
ただ、1970年代後半には薬物依存の治療を受けており、依存症から回復した時期もありました。その際にはこれまでの風貌とは大きく変わり、長髪でヒゲを蓄え、カジュアルなファッションに身を包んだ姿で復活を研げます。
しかし、それでもまだビル・エヴァンスに悲劇が襲い掛かります。1979年、今度は兄のハリーが原因不明の拳銃自殺を遂げてしまいます。もともと兄の影響で音楽を始めたビル・エヴァンスにとって、兄の存在は偉大であり、彼の存在なくしては音楽を継続する意味はないというほどでした。
妻、兄の自殺という悲劇が重なったことによって、ビル・エヴァンスは破滅的になっていきます。結局、1980年51歳の若さで死亡してしまいます。
彼の晩年を称して「ワルツ・フォー・デビイ」「ターン・アウト・ザ・スターズ」の作詞者だったジーン・リースは「時間をかけた自殺」と振り返っています。
これが映画「ビル・エヴァンス タイム・リメンバード」の中で描かれる彼の人生全体です。
これだけの情報でも凄まじい人物であったことがわかります。輝かしい音楽のキャリアとは裏腹に私生活では薬物依存、そしてバンドメンバーや妻、兄の死という悲劇が度重なって起きていきます。
彼の人生の多くは悲しみと苦しみに包まれていたことは間違いありません。だからこそ「時間をかけた自殺」と評されるほどの破滅的な晩年を送っていたのかもしれません。
【解説】映画「ビル・エヴァンス タイム・リメンバード」を見て振り返りたい名盤の数々

映画「ビル・エヴァンス タイム・リメンバード」では、彼のキャリアの中で生まれた数々の名曲たちが紹介され、BGMとしても使われています。
ここでは映画の中で登場したビル・エヴァンスの作品たちを紹介していきましょう。映画を見て曲を聞き直したいと思った人はぜひ参考にしてみてください。
1958年:kind of blue(マイルス・デイヴィスのバンドに参加)
・So What
・Blue In Green
1961年:Waltz for Debby(ビル・エヴァンス、スコット・ラファロ、ポール・モチアンのトリオ)
・My Foolish Heart
・Waltz for Debby
1963年:Time Remembered
・Time Remembered
これらはビル・エヴァンスが残してきたほんの一部の曲で、そのほかにもさまざまな名曲があります。「美と真実だけを追求し、他は忘れろ」という言葉を残した天才ピアニストの音楽が詰まっています。
また、映画「ビル・エヴァンス タイム・リメンバード」の使用曲が収録された「ソングスオン『タイム・リメンバード』も販売されています。
【解説】映画「ビル・エヴァンス タイム・リメンバード」と一緒に見ておきたい映画

ビル・エヴァンスが生きた時代のジャズミュージシャンの多くがドラッグをやっていることもあり、ビル・エヴァンスが薬物を常用していたのは意外なことではありませんでした。
この時代を代表するジャズミュージシャンは多大なる才能に恵まれながらも、音楽と薬物を切り離せずに苦悩を抱えています。
そういった意味でも、映画「ビル・エヴァンス タイム・リメンバード」と一緒に見ておきたいのが映画「ブルーに生まれついて」です。
この映画は1950年に一世を風靡したジャズ・トランペッターでもある「チャット・ベイカー」を描いた伝記映画です。映画「ビル・エヴァンス タイム・リメンバード」とは異なり、本人の役をイーサン・ホークが演じているのですが、この人物も波乱に満ちた人生を送っています。
まず、ジャズ・トランペッターとしての実力はあったものの、当時はまだジャズは黒人音楽という意識が根強く、マイルス・デイヴィスなどに引けを取っていました。
しかし、次第に人気を博していき、1950年半ばにおいては時代の寵児とも言われるほどとなり、マイルス・デイヴィスを凌ぐ勢いがありました。同じトランペット奏者として、互いに認め合いながらもライバル関係でもありました。
チャット・ベイカーはトランペットだけではなく、中性的なヴォーカルも人気を集めており、端正な顔立ちも合間ってこのような地位を獲得していきます。
しかし、そこからヘロインの過剰摂取によって音楽活動から遠ざかってしまいます。トラブルが原因となり前歯を折られてしまうこともありました。その後、1975年ごろから活動を再開し復活を遂げます。
このようにビル・エヴァンスと同じぐらい波乱の人生を送っていたチャット・ベイカー。この人物を描いた「ブルーに生まれついて」、映画「ビル・エヴァンス タイム・リメンバード」を見たならあわせてご覧になってください。
ジャズピアノの詩人が送った51年間の濃密な人生と魂を感じる映画
映画「ビル・エヴァンス タイム・リメンバード」では、ビル・エヴァンスという人物の真実が描かれています。
彼が何を思い、悲劇に対して向き合い、そして素晴らしい音楽を残していったのか、関係者の証言からもビル・エヴァンスという人物の偉大さが伝わります。
そして、劇中に流れる素晴らしい音楽の数々も注目です。ジャズファン必見のドキュメンタリー映画をぜひご覧になってみてください。