薬物中毒を抱える息子とそれを支える父親の物語の映画「ビューティフル・ボーイ」。薬物問題の恐ろしさと、それを必死に乗り越えようとする親子の愛情が見どころとなっています。
この映画で息子ニックを演じたのは「君の名前で僕を呼んで」で大ブレイクしたティモシー・シャラメです。彼の美しさと儚さを持った演技には注目です。
そして、どれだけ深い愛情を注いでも打ち勝つことが難しい薬物中毒という問題についても深く考えさせられる映画となっています。実話が元になっているというのも注目ポイントです。
今回は映画「ビューティフル・ボーイ」のネタバレ感想や解説・考察を書いていきたいと思います。
目次
映画「ビューティフル・ボーイ」を観て学んだ事・感じた事
・親子の絆さえ崩壊させる薬物中毒の恐ろしさ
・回復しては再発する薬物中毒者とそれを支える人々の現実
・徐々に壊れていくティモシー・シャラメの魅惑的な演技に注目
映画「ビューティフル・ボーイ」の作品情報
公開日 | 2018年10月12日(アメリカ) 2019年4月12日(日本) |
監督 | フェリック・ヴァン・フルーニンゲン |
脚本 | ルーク・デイヴィース |
原作 | デヴィット・シェフ「Beautiful Boy:A Father’s Journey Through Hos Son’s Addiction」 ニック・シェフ「Tweak: Grouwing Up on Methamphetamines」 |
出演者 | デヴィッド・シェフ(スティーヴ・カレル) ニック・シェフ(ティモシー・シャラメ) カレン・バーバー(モーラ・ティアニー) ヴィッキー・シェフ(エイミー・ライアン) |
映画「ビューティフル・ボーイ」のあらすじ・内容
成績優秀でスポーツ万能のニック・シェフは、父親からの愛情を一心に受けて育ってきました。父親は息子を「すべてを越えて愛している」と言い、理想的な父子関係でもあったのですが、ふとしたことがきっかけでニックがドラッグにのめり込んでいきます。
一度は治療施設で回復したかのように見えたニックでしたが、再発を繰り返していきます。それでもなお献身的に愛情を持って息子を支えていた父親だったのですが、それでも薬物中毒から抜け出すことができません。
薬物中毒から抜け出せない青年と、その青年を一心の愛情で支え続ける親子の実話を元にした映画です。
映画「ビューティフル・ボーイ」のネタバレ感想
薬物依存とそれを支える家族をテーマにした映画「ビューティフル・ボーイ」。実話を元にした映画というだけあって、薬物中毒や治療の現実について、非常にリアルな描かれ方がなされてしました。
アメリカでは深刻な薬物問題が蔓延する中で、この映画には薬物中毒の恐ろしさに加えて、薬物が最愛の家族との絆を奪い去っていくことや、立ち直ることが難しいという現実をまざまざと突きつけてきます。
しかし、その中でも最後には更生に向けて一歩を踏み出せたことや、実際のニック・ジェフがその後、薬物依存から抜け出すことができたという現実に希望の光を見出すことができます。
それでも、ニック・ジェフのような存在は極めて珍しいケースと言わざるを得ません。家族の献身的な愛情とそれに気が付いた彼、そして懸命の治療の末に薬物からの脱却が可能となったわけでもあり、この再生の物語の裏には、無数もの全てを失った人たちの存在を感じずにはいられません。
このように映画「ビューティフル・ボーイ」は、薬物依存に関する現実的な問題点を浮かび上がらせると同時に、人間ドラマとしても見応えのある映画となっています。
献身的な愛情こそが薬物中毒から抜け出すために必要なことなのか、それともそれすら壊してしまうのが薬物の恐ろしさなのか、この映画が表現しているのは薬物中毒とその治療にまつわる両面を描いています。
ここでは、映画「ビューティフル・ボーイ」の感想や考察を1つ1つの項目に分けて書いていきます。
【解説】薬物映画と人間ドラマのバランスが良い
映画「ビューティフル・ボーイ」の物語の軸となっているのは主に2つの要素です。
1つは薬物中毒という問題についてです。ニック・ジェフという薬物中毒に陥った青年を描きながら、薬物問題の深刻さを浮き彫りにしていきます。
2つ目は薬物依存に苦しむ息子を支える親の献身的な愛情です。何度も過ちを繰り返しながらも、それでも息子を見放さず、回復の道へと進ませるサポートをしていく人間ドラマが展開されます。
映画「ビューティフル・ボーイ」では、この2つの要素がバランス良く、織り交ぜられていると感じました。薬物問題に対する警鐘的な要素が強くなってしまうと、どうしても説教くささを感じてしまうものです。映画としての魅力はなくなってしまい、「教育ビデオでやれよ」と感じてしまうことでしょう。
しかしながら、このような映画を人間ドラマ中心に描いてしまうと、途端に嘘くさくなってしまいます。物語に都合がいいような展開になってしまい、複雑な問題を抱えている薬物中毒を描き切ることは難しくなるでしょう。
そんな中、映画「ビューティフル・ボーイ」は、薬物中毒に関する問題を指摘していきながら、親子の愛情をドラマティックに描いた優れた作品であるといえます。
例えば、息子を治療施設に入れる相談をする父親のシーンでは、ある州の治療施設は費用に月何百万ドルかかってしまうことが指摘されています。
このシーンで伺えるのは、薬物治療を受けられるのは、お金を出すことができる層に限られているということで、支える側の経済力に依存しているともいえ、深刻化するアメリカの薬物問題ということを背景に考えると、治療施設がどこも一杯一杯であることも考えられます。
また、この映画ではニックが依存度の高いクリスタル・メスというハードドラッグの中毒に苦しみます。治療施設を抜け出したり、回復したと思ったら再発するといったことを繰り返していきます。この部分も一筋縄ではいかない薬物治療の困難さが伺えます。
その一方で、この映画の中心にあるのは、薬物中毒の息子とそれを支える親の家族愛を描いたヒューマンドラマでもあります。
ニックの幼少期は愛情に満ち溢れた親子関係を築いており、父親は息子のことを「すべてをこえて愛している」と抱きしめます。一緒にドライブに出かけたり、サーフィンをしたり、親にとっても自慢の息子でありました。
学業も優秀で大学にも進学するのですが、そんな中ドラッグと出会って人生が大きく変化してしまいます。薬物依存に陥った息子に対しても、献身的に支えようとする父親ではあったのですが、息子はそれを「管理」と受け取り拒絶をしてしまいます。
また、父子共に過去のニックの姿を引きずっており、自慢の息子だった過去に対して失望する中で、親子の距離は徐々に開いていきます。
治療と再発を繰り返す中で、ついにはデヴィット自身が支えることを諦めて息子を突き放してしまいます。薬物中毒に陥った子供を持つ親の集会に参加したデヴィットたち、そこには「私には管理できない・救えない」という悲しい文字が掲げられています。
どれだけ愛情を持って支えても、薬物中毒から抜け出すことができない問題の深刻さ、支える側の精神的な負担、その中で心が折れてしまいます。そして、見放されたニックは薬物の過剰摂取で生死をさまよいます。懸命の治療によって一命をとりとめたニックは、デヴィットと病院を後にし、ベンチに座って互いに抱きしめ合います。
ここで物語は終わるのですが、エンドロールでニックが懸命の治療によって薬物から抜け出すことができたことが触れられています。この点が、この映画の唯一の救いになるのですが、奇跡としか言いようがありません。
最後の最後までニックは薬物依存から抜け出すことはできませんでした。最後に生死をさまよって、一命を取り止めたことが更生への決意となりますが、そこで死んでいた可能性もあるわけで、そう考えると薬物中毒からの脱却への道は途方もなく困難で、どれほどの献身的な支えが必要なのかと、考えさせられてしまいました。
【考察】薬物中毒者への支えとして何が正解なのか?
映画「ビューティフル・ボーイ」では、薬物中毒に陥ったニックを家族が懸命に支えているのですが、どれも失敗に終わってしまいます。
この中で、一体何が正解なのかわからないという現実を突きつけられてしまいます。実際問題、薬物中毒者を支える上で、どのような対応をするのが正解なのか、答えが出ることはないかもしれません。
劇中では、父のデヴィットは息子に対して愛情を注ぐ中で、薬物依存と戦う息子を管理しようと努めます。こまめに連絡をとったり、話を聞いたりするのですが、息子にとっては信頼がないと受け取ってしまうこともありました。
そして、デヴィットは息子を理解するために、薬物に対する調査を始めます。薬物の種類や体への影響、息子が依存するクリスタル・メスの恐ろしさなどを調べていき、時には物騒な地域へ繰り出して自分でもドラッグを購入してみるなど、体当たりで息子を理解しようとします。
しかし、それもうまくはいきませんでした。愛情をかけて育ててきた立派な息子という幻影を追いかけているかのようにも見えましたし、それに対する失望もあったでしょう。そんな中でも、息子の問題に向き合いながらアプローチをつづけていくのですが、成功することはありませんでした。
一方で、ニックの義理の父親スペンサーは、デヴィットとは異なるアプローチを行いました。一緒にサイクリングに出かけて体を動かして発散させるといった方法で、一時期事態は良好な方向に向かいました。
デヴィットとは異なり過度な干渉はせず、あくまで息子を一人の大人として信用しているかのようなアプローチでした。しかしながら、義理の父親ということもあり、最終的な部分で支えることはできませんでした。そこは実父のデヴィットとは異なる部分でもあります。
最終的に、薬物の過剰摂取で一命を取り止めることとなるニックですが、一度は諦めかけたデヴィットが再び支えることを決意します。この部分では、父親の愛情が彼を救った形になりましたが、この映画の中では、どんなアプローチをするのが正解なのかわからず、悩み続ける支える側の視点というのも目立ちました。
原作でも13回もの依存症再発を繰り返したと触れられているこの物語ですが、それほどの苦難を繰り返しながら、依存に苦しむニックや支えるデヴィットの痛ましい姿がこの映画では、克明に描かれています。
「愛されあれば」と簡単には言えてしまいますが、その言葉の理想と現実がこの映画には現れていると思いました。
【解説】幼少期のシーンが効果的に挿入される
この映画は、薬物依存に苦しむニックのことをデヴィットがカウンセラーに相談するところから始まります。そして、薬物依存の治療を受けながらも再発を繰り返す部分を現在視点として描き、その間に過去のニックが幼少期だったシーンが挿入されていきます。
そこでは、理想的な親子関係が映し出されており、親が子に与える愛情、さまざまな経験を通じて成長していく様が効果的に描かれており、薬物依存を抱えるニックとのギャップを映し出しています。
薬物というものが、これらの理想的な家族関係を崩壊させていくということを効果的に伝えるシーンでもありますし、それらが奪い去られていくという現実を見ている側に突きつけ、感情を揺さぶられてしまいます。
そういった過去のシーンがこの映画では繰り返し挿入されています。さまざまな意図は考えられますが、過去を奪い去る薬物の恐怖だけではなく、父親のデヴィットが引きずっている過去とも解釈できます。
デヴィットにとってニックは自慢の息子であり「ビューティフルボーイ」と呼ぶほど溺愛していました。そんな自慢の息子が薬物に溺れる中で、失望感もかなりあったことでしょう。
そして、薬物さえ克服すれば、また元の息子に戻ってくれると期待もしていたはずです。そういったことを表す意図でも、過去のシーンが効果的に挿入されていたと思いました。しかし、そういった父親の思いに対して、ニック自身もその過去の自分にとらわれてしまうという悪循環が起きていました。
今の自分を受け入れるという選択肢ではなく、元に戻るという方向しか向けなかった、この親子のズレが二人を苦しめていたともいえます。
そして、見る側にとっては、そういった過去のシーンを見れば見るほど、映し出されるニックの現状と比較して、胸が締め付けられるかのような感覚になってしまいます。
【解説】期待の俳優ティモシー・シャラメに注目
映画「ビューティフル・ボーイ」で、薬物依存に苦しむニックを演じたのは、2017年に公開された「君の名前で僕を呼んで」でアカデミー賞主演男優賞にノミネートされたティモシー・シャラメです。
若干23歳の彼は若手俳優の中でも最も注目を集めており、映画「ビューティフル・ボーイ」でも、ゴールデングローブ賞や英アカデミー賞にノミネートを果たしています。
ティモシー・シャラメは薬物依存に苦しみながら崩壊していく様を見事に演じきっていて、自慢の美貌はこの役所にどハマりしており、美しいものが壊れゆく過程をみる中で、観客の感情を揺さぶっていきます。
イケメンでもありながら、どことなく脆さを抱えていそうな瞳は、まさに「ビューティフル・ボーイ」にふさわしい俳優であると言えます。彼のような外見を持っているからこそ、映画を見ている側も、どんなに再発を繰り返しても救われてほしいと願うばかりだったと思います。
多分現実としてあのような人物がいたとしても、同情されることはまずないでしょう。「またどうせ繰り返す」と見放されるに違いありません。ただ、ティモシー・シャラメを起用したことによって、観客もある意味父親と同じ目線で、彼の更生までの道のりを目の当たりにすることができたのだと思います。
映画「ビューティフル・ボーイ」は薬物依存に向き合うリアルな人間ドラマ!
薬物依存に苦しむ青年ニックとそれを支えた父親のデヴィットの実話を元にした映画「ビューティフル・ボーイ」。薬物が抱える深刻さと、果てしなく大きな愛情を持って支えても解決に至らない不条理さ、親子間の理解のズレなど、薬物問題を軸としたヒューマンドラマが楽しめる映画となっています。
ティモシー・シャラメという俳優は今後も数々の作品に出演する期待の俳優でもあるので、彼が出ている作品としても要チェックな映画です!