映画「美女と野獣」は歴史が古く、原作は1700年代に書かれたものです。1946年に初めて映画化され、ウォルト・ディズニーが製作した2017年版のものを含めると5作品もあります。
2017年にエマ・ワトソン、ダン・スティーヴンスで作られた「美女と野獣」はCG技術が高く、何度観ても色褪せない作品に仕上がっていました。
今回は2017年版「美女と野獣」のネタバレ感想や解説、考察について詳しく紹介していこうと思います。
目次
映画「美女と野獣(2017)」を観て学んだこと・感じたこと
・エマ・ワトソンが美しくて演技が上手い!
・結末を知っていても楽しめるザ・ファンタジー
・容姿ではなく純粋な心、優しさが一番大切
映画「美女と野獣(2017)」の作品情報
公開日 | 2017年 |
監督 | ビル・コンドン |
脚本 | スティーヴン・チョボスキー エヴァン・スピリオトポウロス |
出演者 | ベル(エマ・ワトソン/昆夏美) 野獣(ダン・スティーヴンス/山崎育三郎) ガストン(ルーク・エヴァンス/吉原光夫) ルミエール(ユアン・マクレガー/成河) コグスワース(イアン・マッケラン/小倉久寛) ポット夫人(エマ・トンプソン/岩崎宏美) |
映画「美女と野獣(2017)」のあらすじ・内容

王子が城の中で舞踏会を開く中、嵐で道に迷ったみすぼらしい老婆が城を訪ね、一輪のバラを差し出して「一晩泊めてほしい」と言います。王子は老婆をあざ笑って拒否しますが、老婆の正体は魔女であり、王子や家来たちに呪いをかけます。
その呪いは「バラの花が全て落ちるまでに、愛し愛されることを学ばなければ呪いは解けない」というものでした。そして、王子は醜い姿に変えられてしまいます。
数年後、城の近くの村には本を読むことが好きな教養のある女性・ベルがいました。父親のモーリスが出かけたきり戻らず、ベルが父親を探しに行くと、野獣が住む城に幽閉されていることがわかります。
父親を助けたベルは身代わりとなり、野獣の城に幽閉されることになりますが、城の中で野獣と少しずつ打ち解けていきます。
映画「美女と野獣(2017)」のネタバレ感想
ベル役のエマ・ワトソンが美しくて演技が上手い!字幕版もおすすめ

「美女と野獣」といえば知名度抜群の作品です。何度も映画化されている作品なので、出演者や映像に違いはあっても、大まかなストーリーを把握している方は多いのではないでしょうか。
2017年に公開された「美女と野獣」のベル役を演じるのは、「ハリー・ポッター」でハーマイオニー役を演じたエマ・ワトソンです。美しい容姿はもちろんのこと、演技力の高さや歌のレベルの高さも素晴らしいものがありました。
ベルと村の人々がミュージカル調に歌う「朝の風景」では、本や学ぶことが好きで広い世界に憧れるベルの性格がなんとなく分かります。単に説明するのではなく、ミュージカル調で人柄や場面の様子がわかるのは観ていて面白いですよね。
ベルの日本語吹き替えをしているのはミュージカル女優の昆夏美なので、聞きごたえがあります。芸能人声優だと上手い下手が分かれますが、そんな心配はないので吹き替え版でも十分楽しめます。字幕版ではエマ・ワトソン本人が歌っており、美しい歌声なので吹き替え版しか観ていない方は合わせてチェックしてみてください。
【考察】女性には教養が必要ないという無教養さ

読書や学ぶことが好きなベルは村では変人扱いをされ、「変わった人間」というレッテルを貼られています。現代に住む日本人からすれば男女共に学ぶことは何もおかしいことではありませんが、本を読むという行為をしているだけにも関わらずベルは不当な扱いを受けています。
これは物語の中だけの話ではなく、歴史を振り返ってみると男女で教育の差があったり、女性の参政権が男性と比べて遅れていたりと、この映画で描かれるようなことは実際に起きているんですよね。前述した通り、この作品は1700年代に作られたものなので「当時の女性の不当な扱い」というのが描かれているのかもしれません。
そして、教養のあるベルはロバ(?)に紐をつけて歩かせ、自動で洗濯をしてくれる洗濯機を発明します。これが正に教養の大切さというか、教養があればアイデアで様々なことを効率化することができて、自由な時間が増えます。自分の好きなものに時間を使えば、人間として豊かな生活を送ることができます。
しかし、無教養である村の人々はそんなベルを許さず、文字の読み方を教えるベルに対して「余計なマネだ」と言い放ちます。また、重要なのがベルを非難する人は男性だけでなく、女性も含まれているんですよね。当時は社会全体として「女性に教養は必要ない」という考えがあったのかもしれません。
300年経った現在、世界に目を向けて見ると、パキスタンやアフガニスタンのように教育を受けられない女性が多くいる地域も未だにあります。女性教育の必要性を訴えるマララ・ユスフザイさんが襲撃を受けたりと、映画の中のように妨害する人たちもいまだにいるのです。これも無教養ゆえなのか、人間は何年経っても変わらないのかな…と思ってしまいました。
【解説】ガストンという心に野獣を抱えた男

ガストンは村の女性たちからの人気も高いですが、顔のカッコよさとは裏腹に性格がめちゃくちゃ悪いです。
モーリスと野獣の城を探すガストンは、中々見つからないことに苛立ちます。そこで相棒のル・フウが「楽しいことを思い浮べよう」と言い、「戦争、血しぶき、爆発、夫を亡くした女の子」を挙げると笑顔になり落ち着きを取り戻すのです。
この時点でガストンのヤバさが理解できるのですが、その後もモーリスを殴って狼のエサにしようとしたり、物語の終盤では一度は見逃してくれた野獣に対して銃を放ったりと、中々のクズっぷりが描かれています。そんなガストンには天罰があたり、足場が崩れて落下してしまいます。
この映画では終始「外見よりも心の美しさや優しさ」について描かれています。もちろん、外見が良いに越したことはないのですが、外見が良くてもガストンの様に性格が悪ければ人間の魅力は下がってしまいます。
しかし、性格がよければ人は魅力的に映るものです。この映画は暗に「心の優しい人間になろう」というメッセージがあるのでしょうね。とは言っても、外見も良くて性格が良い人がいれば最強なんですよね。人間に戻った野獣も結局カッコよかったですし。
【解説】アンティーク(食器たち)が良いキャラをしている

今作は美女と野獣がメインに描かれていますが、一緒に呪いを受けてアンティークや食器にされてしまった給仕たちも良いキャラをしています。ベルをもてなす際の歌や踊り、CGはとても見応えがあり、パレードをみているような感覚になりました。
特に好きだったのがポット夫人の歌声で、日本語吹き替えは歌手として活躍する岩崎宏美さんです。ポット夫人の声の演技も上手だったのですが、歌の表現力が凄まじくて一気に引き込まれてしまいます。
そして、バラの花びらが散っていくごとに体が動けなくなっていくアンティークが、物語のラストでバラの花びらが全て散ってしまい、完全に動けなくなります。そこでのルミエール(燭台)とコグスワース(時計)との友情や、ポット夫人が最後の最後で息子のチップと出会えなかったりと感動できるポイントがいくつかあるんですよね。
美女と野獣の恋の行方も素晴らしいのですが、サブキャラにもしっかりとスポットライトが当たっていて、物語としての完成度がかなり高いです。魔女の計らいで呪いは解け、野獣と共にアンティークたちも人間に戻りますが、ルミエールやコグスワースが想像していたのと少し違いました。笑
村人たちが野獣の城に攻め入るシーンは戦争の始まりのよう

ベルが持ち帰った鏡によって、本当に野獣がいることを村人たちは知ります。野獣は村人たちに危害を加えてないのにもかかわらず、村人たちは「野獣は危険だ!」と城に攻め入ろうとします。
これが戦争の始まりの様子を描いているようで恐怖さえ感じました。「相手が攻撃してくるとこちらに被害が出る!相手は危険だから先に攻撃しなきゃ!」という、こちら側の勝手な思い込みで相手を攻撃しようとするのです。
人間は不安を煽られるといとも簡単に一致団結し、「自分や家族を守る」という立派な名目をつけて人を攻撃してしまうのです。怖いですね…。
狭い世界から広い世界に飛び込めば素敵な人に出会える!今が最悪でもいつかは幸せが訪れる

ベルは日頃から外の世界に冒険することを夢見ていました。村の中には自分と同じ様に本を読むことが好きな人はおらず、孤独感を感じていました。父のモーリスは「小さな村だから心も狭い」という言葉をかけています。まさにその通りで、狭い世界で生きている人は考え方の幅も狭くなってしまうのでしょう。
そして、ベルは野獣と出会います。野獣は本を読むことが好きですし、本を読むベルに対して「女性なのに本を読むのか」など否定するようなことはありません。否定され続けてきたベルにとって、同じ様な趣味を持つ人との出会いはとても嬉しかったのではないでしょうか。
野獣の視点から考えてみても、野獣の姿に変えられて何年も経ち、一生野獣の姿のままなのではないかと苦しみ続けてきたと思います。そんなところにベルが現れ、初めは反発し合う二人でしたが、徐々に距離を縮めていきます。
長い間つらい状況にあったとしても、野獣の様にいつかは必ず幸せが訪れるんだと思います。魔女に対してヒドい行いをしてしまった野獣でしたが、心の醜さはなくなり人として変わることができました。
互いに違った孤独感を味わっていた二人が、最終的に幸せになることができるハッピーエンドは見終わった後に清々しいものがありました。
【考察】魔女(アガット)の存在・役割は何なのだろうか

ディズニー作品に度々登場する魔女はヴィランキャラとして描かれることが多いです。冒頭、嵐に迷った魔女が城を訪れ、王子にヒドい扱いを受けたことで呪いをかけたわけですが、魔女くらいの力があるのであれば天候を操るとか、道に迷うこともなさそうです。
そして、村の物乞いであるアガットの正体は魔女ですが、ガストンに殴られて外に放置されたモーリスを救ったのもアガットでした。こういったことからも魔女=悪者というわけではないことがわかります。
なぜ魔女が物乞いとして生活しているのかは正確には分かりません。物乞いに変装することで、人々の反応を見て試しているのかもしれません。そして、立場の弱い人に対してヒドイ扱いをする人(ガストンやかつての野獣のような人)には罰を与え、世直しの的なことをしているのかもしれませんね。
とはいっても、魔女が人を試してただ遊んでいるという可能性もあります。ただ、野獣の様に改心する人もいるわけなので、魔女の行動は間違っていないのかもしれません。
「美女と野獣」は子供が絵本やアニメで作品に触れることもあるので、「弱い立場の人は実は魔女かもしれない。だからどんな人にも優しくするんだよ」というメッセージ性をこめてる可能性も考えられそうですね。
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