「怪物はささやく」は2016年公開された、スペインとアメリカ合作のダーク・ファンタジー映画です。
心の葛藤や矛盾といった胸に刺さる重たいテーマを、美しい映像や視覚効果で効果的に描いた作品です。今回は映画「怪物はささやく」の感想を解説・考察を交えて書いていきたいと思います。
目次
映画「怪物はささやく」を観て学んだこと・感じたこと
・またしても子役にやられた!他の豪華キャストもいい感じ
・1度と言わず何度も観てほしい。見るたびに理解が深まり泣ける映画
・心の矛盾は誰しもある。それを許せた時に癒しが訪れる
映画「怪物はささやく」の作品情報
公開日 | 2016年 |
監督 | ファン・アントニオ・パヨナ |
脚本 | パトリック・ネス |
原作 | パトリック・ネス |
出演者 | コナー・オマリー(ルイス・マクドゥーガル) エリザベス・クレイトン(フェリシティ・ジョーンズ) クレイトン夫人(おばあちゃん)(シガニー・ウィーバー) 怪物(リーアム・ニーソン) リアム・オマリー(トビー・ケベル) |
映画「怪物はささやく」のあらすじ・内容
難病の母親と二人で暮らすコナーは、毎晩同じ悪夢を見てうなされていました。
そんなある晩、コナーのもとに怪物が現れこういいます。「これから3つの真実の物語を語る。その後4つ目はお前が真実の物語を語るのだ」。拒否するコナーを無視して物語の1つ目が語られます。
夜中の12時7分になると、現れる怪物の口から2つ3つと物語が語られるうちに、コナーの内なる心の葛藤が暴かれ始め、コナーは自分で封印していた本当の気持ちに気づいていきます。怪物が現れた本当の意味とは…?
映画「怪物はささやく」のネタバレ感想
怪物はささやくは見終わった後に「そういうことだったのか!」と納得することで感動できる映画です。
この記事は完全に最後のネタバレを含んでおりますので、一度映画をご覧になってからお読みになることを推奨します。なお、展開についてご存知の方、または1度観たけれど良く意味が分からなかったという方には、おすすめの内容になっています。
【解説】「パンズラビリンス」の製作スタッフがイギリスの児童文学を映画化
「怪物はささやく」はパトリック・ネスの児童文学ベストセラーを原作として「インポッシブル」や「永遠の子どもたち」の監督ファン・アントニオ・パヨナが手がけたダークファンタジー映画です。脚本は原作を書いたパトリック・ネスが自ら手掛けており、ダークファンタジーの傑作と言われる「パンズ・ラビリンス」を手掛けたプロデューサーが製作指揮をとっています。
この本の原案はシヴォーン・ダウドという方だそうですが、この方は2007年に乳がんでこの世を去っています。一緒に作品を完成させたパトリックは、映画の中の難病の母親にシヴォーンを重ねていたのではないでしょうか。
映画のグラフィックは素晴らしく、怪物の動きにも自然さと臨場感がありました。細かい1つ1つの動作に迫力があるのは、実際に怪物役のリーアム・ニーソンがコナー役のマクドゥーガルと一緒にモーションキャプチャーの演技を行っているため。怪物の動作はそのままニーアムの動作なんですね。
また、この映画は大きく3つの場面に分かれています。クラスメイトにいじめを受けながら難病の母親とともに暮らす現実の日常、真実の話を突きつけてくる怪物と過ごす真夜中、怪物が語る真実の物語。怪物が語る真実の物語は、水彩画タッチのアニメーションで表現されていてとっても幻想的です。
怪物が語る物語の内容は決して美しいものではなく、残酷で矛盾を抱えた物語ばかりですよね。それがこの映画がただのファンタジーでなく、ダークファンタジーと称されるゆえんなのでしょう。残酷な物語を美しい水彩アニメーションで表現しているあたりのセンスが素晴らしいですね。
私が最初にこの映画を観た時には映像にくぎ付けになり、ストーリーを深く追うことができませんでした。意味が分からなかったという口コミを見かけることがありますが、そういう人ももしかすると映像の美しさに圧倒されてしまったのかもしれませんね。
【解説】映画ではカットされた部分がストーリーの理解に一役買う
なぜコナーが学校であんなにいじめられるのか、なぜ自分からいじめっ子の気に障るようなことをするのか。いろんな気持ちを我慢して封じ込めていることは分かったけど、怪物の物語がなぜコナーの気持ちを解き放つことにつながるのか、その辺が1度映画を観ただけではどうもピンと来ませんでした。
単におとなしくて体も華奢だからいじめられているのか、それとも母親が病気のためクラスメイトとの経済格差があるのか、そのあたりは全く出てきません。あまりにも一人ぼっちすぎるんです。
そこで調べるうちに、原作のエピソードが映画では省略されていることがわかりました。
コナーにはもともと仲良くしている幼馴染の女の子がいた。女の子に悪意があったわけではないが、ある日コナーのお母さんが病気であることを学校でクラスメイトに話してしまう。生徒たちはそんなコナーにどう接していいかわからず、結果的にコナーは浮いた存在になってしまった。
まずは、この前提で映画を観るともう少しわかりやすいかもしれません。省略されているエピソードは一つだけではないようですが、この部分を理解するとコナーがなぜ学校であんなに浮いた存在なのかがストンと頭に入ってくると思います。
【解説】矛盾を許容した時、少年は大人になる。
コナーは毎夜悪夢を見ます。それは、地割れの亀裂に落ちそうな母親の手を必死でつかむコナーがついに母親の手を放してしまい、大好きな母親が奈落の底に落ちていってしまうという夢です。この夢がどういう意味なのか、コナーは心の奥深くで理解していますが、自分では決して認めずにいました。
怪物は、そんな少年に物語を語ります。少年は、残酷な真実を秘める物語の結末にいつも納得できません。少年の価値観でいう「善」の物語ではないからです。でも、人生ではそんな出来事にたびたび遭遇しますし、真実がいつも優しいとは限りません。
その、真実を見つめる心と、善と悪に分けられない事柄に対し葛藤を抱え続けられることが大人になるということなのでしょう。
コナーは心の奥深くで知っています。悪夢の中で母親の手が離れてしまったのではなく、苦しさに耐えかねて自ら手を離したのだと。でも、大好きな母親の手を自分で離したなどとは信じたくないし、また信じないようにしているのです。それでも心の奥深くでわかっているからこそ、わざわざいじめっ子の気に触るようなことをして殴られ、自分を罰しているのです。
コナーは、母親の治療が上手くいっておらず、すでに打つ手がなくなったことを知って母親の病気を治せと怪物に詰め寄ります。しかし、逆に怪物に「今度はお前が真実を語れ!」と言われ、悪夢のシーンを再現されてしまいます。ひどくパニックに陥ったコナーはやはり母親の手を離してしまうのです。そして叫びます。「終わらせたかった!」と。
コナーは大好きな母親なのに、この苦しい生活を終わらせたいと思っている自分の気持ちと初めて向き合うことができました。治ってほしいことは真実。でも早く終わらせたいのもまた真実なのです。相反する気持ちなのにどちらも真実であるという矛盾を受け止められた時、コナーは大人への階段を一歩登ることができたのでしょう。そして、大人への階段を上ったコナーだからこそ、臨終の際に素直な気持ちで「行かないで」と母親を抱きしめることができたのだと思います。
【考察】怪物の吹き替えはリーアム・ニーソン、ちらりと映る写真のおじいちゃんに注目
怪物役のリーアム・ニーソンですが、もちろん映画には顔が出てきません。ですが、初回に見た時は分からなかった衝撃のシーンがありました!
それは、コナーがおばあちゃんの家で何げなく家族写真を眺めるシーン。母親の若いころの写真や、母親が幼いころに亡くなった父親(コナーのおじいちゃん)と映っている写真が並んでいます。初回に映画を観た時はなんということもなく過ぎたシーンでしたが、2回目に見た時に「!?」と思い静止してみると、コナーの母親を抱いて映っている写真の父親の顔はリーアム・ニーソンではないですか!
この写真は、この時の一瞬とラストの方にほんの一瞬だけ映るだけで、最後まで気が付かない人も中にはいるのではないでしょうか。
ということは怪物はコナーのおじいちゃんの霊的な何かが関係しているということなのか…?この辺りは最後までわかりませんが、母親が亡くなる直前、コナーの後ろにいる怪物とアイコンタクトをとったところを見ると、ずっとこの親子を見守ってきたのは最愛の父であり、コナーにとっては会ったこともないおじいちゃんなのかもしれません。
ラストシーンで、コナーはおばあちゃんに自分の部屋をもらいますが、それはかつて母親が使っていた部屋でもありました。そこにはコナーと同じく絵が得意だった母親の、子どもの頃のスケッチブックが置いてあります。
何げなく開いたコナーはそこに意外なものを見つけて驚きます。怪物が語った物語の登場人物や、怪物の姿などが描かれていたからです。つまり怪物は少女の頃の母親にも物語を語っていたということなのでしょう。
もしかしたらこれは、幼い時に娘を残して亡くなった父(リーアム・ニーソン)が、娘を案ずるあまり姿を変えてかつて娘のもとを訪れたのか?そして時は過ぎ、娘が助からない病になり、今度は一人ぼっちになってしまう孫(コナー)を癒すために、コナーのもとを訪れたのでしょうか。
残念ながら原作本を読んだことがないので、そのあたりのことが書かれているのかわかりませんし、実際はどうなのかわからないですが、何となく「怪物はおじいちゃんだったのでした」みたいな解釈は興ざめかな~という気もします。この話がダークファンタジーと呼ばれるからには、怪物(イチイの木)は子どもに真実を突きつけ大人の階段に一歩踏み出させてくれる「恐ろしくも優しい何か」であってほしいのです。
【解説】キャストもいい!厳しく怖いおばあちゃんはシガニー・ウィーバー
コナーの母方のおばあちゃんはシガニー・ウィーバーが演じています。父親は離婚して疎遠のため、母親の入院中はおばあちゃんの世話にならざるを得ないコナーですが、実はおばあちゃんのことが好きじゃないんです。
おばあちゃんったって世間一般のおばあちゃんと思ったら大間違い。シガニー・ウィーバーですから。今にもエイリアンの一匹や二匹軽く殺せそうな眉間のしわ。すっごく厳しくて口調もキツイ!コナーが夢うつつでおばあちゃんのきちんと片づけられたリビングをめちゃくちゃに破壊してしまったことがバレるシーンなんか、怒り方が尋常じゃない、まるで殺し屋。怒りが地響きとなって足元から湧き上がってくるような名演技です。
母を失うかもしれない若干13歳の不憫な孫に、容赦してやろうとか、つらい気持ちを汲んでやろうとかいう情緒とか甘い感情はみじんも感じられない。もう待ったなし。無言なんですけどね、このシーン。怖いよおばあちゃん…。
ですが、そんなおばあちゃんとコナーが、母親が危篤の際に病院に向かう車内の会話はめちゃくちゃ泣けました。お互いウマの合わない祖母と孫ですが、根底にはしっかり家族の愛情があり、これから心を通わす共同作業をしていくんだろうなという希望が見えてくるシーンでした。
母親役にはフェリシティ・ジョーンズが起用されています。実は、この女優さんの作品をほとんど見たことがなく、おかげで先入観めいたものもなかったのですが、難病に侵された母親のやつれっぷりはもちろん、命が砂時計の砂のように刻々と流れていく様が本当にリアルで胸が痛んだほどでした。余談ですがこの方、元気な時でさえ何となく幸薄そうな印象だったんですよね。今度はほかの作品で確かめてみたいと思いました。
そして、なんといってもコナー役のルイス・マクドゥーガル。彼はこの作品が初主演なのですが、今まで見てきた子役の演技を超えるんじゃないかってくらい、個人的には胸を打たれました!
特に、母親の病気を治せと怪物に詰め寄るシーンとコナーが怪物に自分の真実を語るシーン。今まで自分の中に溜めに溜めていたいろいろな感情がいっぺんに噴き出して、どうにもならない自分の感情を痛みとともに吐き出す見事な演技に、コナーがかわいそうで本当に辛くなってしまいました。吐き出した後の放心したような表情も見事です。この作品で一番心に残ったのは素晴らしい映像以上に彼の演技とこのシーンでしたね。
3つ目の物語は不完全燃焼で落ちがないのがイマイチ!と思う人も多い
コナーが学校の食堂でいじめっ子をぶん殴るシーン、あれが3つ目の物語なんですが、このシーンだけにやや不満が残りました。
それまでの怪物の物語は普通の善悪じゃ測れない「オチ」があったのに、ここでは話の「オチ」がよくわからないんですよね。コナーがいじめっ子に「今までは殴ってきたけど今日から殴るのはやめる。お前は透明人間だ」と言われます。これはいじめっ子が割と勘のいい奴で「どうやらコナーは殴られることでわざと自分を罰してる」とわかったんでしょう。
なのでコナーをもっと傷付ける方法は無視することだと判断したんですね。そういわれたコナーの背後に怪物が現れ、3つ目の物語を語り始めます。
「誰からも見えない男が」
「無視されることにうんざりしていた」
「彼は透明人間じゃなかった」
「周りが彼を見なかっただけ」
「彼はその状況に耐えられなくなりこう思った」
「誰にも見えない者が存在しているといえるのか」
ーそれで彼は何を?-
「怪物を呼んだのさ」
この後、コナーは大声で叫びながらいじめっ子に殴りかかっていきます。
これはコナー自身の物語ですが、矛盾は抱えてませんよね。その後、いじめっ子を病院送りにしたコナーは、キレると危ない奴としてクラスメイトから遠巻きに注目されるようになり、存在を無視される以上につらい立場に置かれてしまいます。
・・・とここまで書いてやっと気が付きましたが「無視されるのがたまらなく嫌だったのに、注目されるようになったらますます辛かった」という矛盾なんですね!その矛盾に気づかせるために、怪物はコナーをそそのかし、いじめっ子を殴るように仕向けたということなんでしょう。
この3つ目の物語は尻切れトンボでは?という感想を持つ人が多い部分ですが、そう考えると怪物は矛盾の物語をちゃんとコナーに語っているんですね。美しい水彩アニメーションが見られないのは残念ですが。
一度見ただけでわからない人はぜひもう一度見てほしい!
私がそうだったのですが、この映画は1度観ただけではストーリーの概要しかわからない人もいます。あらすじは分かりますし確かにコナーはかわいそうなのですが、怪物が何を言わんとしているのかよく分かりませんでした。
たぶん一度目は怪物のCGの見事さや、水彩のアニメーションの美しさなどに圧倒されて深くストーリーを考察しながら観ることができなかったんじゃないかと思います。
もしよく分からなかった人はぜひもう一度見てほしいです。この記事を読んだ後にもう一度見れば完璧ですね。2度目は泣けます。私は頭が痛くなるほど泣けました。
病に侵され辛く苦しそうな母親を見るのはつらいものです。それが大好きな母親であるほど「何とか治ってほしい」と「もう楽になってほしい」という逆方向のベクトルが強く引っ張り合います。
大の大人でも苦しいこの揺れを若干13歳で引き受けることになったコナー。どちらの気持ちもあっていいんだ、と自分を肯定する過程のコナーと怪物が心を揺さぶり、また温めてくれる映画でした。
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