「ゼロ・グラビティ」は2013年に公開されたアメリカ、イギリス合作の映画です。最新鋭の技術を駆使したグラフィックスで圧倒的なリアルを追求したこの作品は、従来のSF映画とは一線を画した、SFヒューマンサスペンス映画となっています。
ヴェネツィア国際映画祭のオープニング作品として上映され、アカデミー賞10部門にノミネートされた映画「ゼロ・グラビティ」の感想や解説、考察をネタバレを含んで書いていきます。
目次
映画「ゼロ・グラビティ」を観て学んだこと・感じたこと
・圧倒的臨場感!環境を整えて観たい映画
・キャストはほぼ2人、ヒットする映画の常識はいずこに?
・逆境を描いた死と再生の壮大なテーマの映画
映画「ゼロ・グラビティ」の作品情報
公開日 | 2013年 |
監督 | アルフォンソ・キュアロン |
脚本 | アルフォンソ・キュアロン ホナス・キュアロン |
製作 | アルフォンソ・キュアロン デイヴィッド・ハイマン |
出演者 | ライアン・ストーン(サンドラ・ブロック) マット・コワルスキー(ジョージ・クルーニー) |
映画「ゼロ・グラビティ」のあらすじ・内容
医療技師のライアン・ストーンは、マット、シャリフとともにスペースシャトルの船外活動をしていたところ、高速で接近してきた宇宙ゴミの衝突に巻き込まれます。
シャリフは死亡し、ライアンとマットはそれぞれ別々に宇宙空間に放り出されますが、船外活動ユニットを駆使してマットがライアンを自分の宇宙服につなぎとめ、破壊されたスペースシャトルの代わりにISS(国際宇宙ステーション)に向かい、地球へ帰還することを試みようとします…。果たして二人の運命は?
映画「ゼロ・グラビティ」のネタバレ感想
「ゼロ・グラビティ」はSF映画でありながら、人間の内面を深く映し出したヒューマンドラマともいえる作品です。したがって、サスペンス映画のように意外な結末を楽しんだり、予想を裏切る結果となったりする映画とはやや性質が異なり、映画はネタバレ後でも十分楽しむことができると思います。
これから書いていく感想や解説にはネタバレのほか、映画をより掘り下げて鑑賞するための解説をしています。ストーリー重視でなくより深く映画を堪能したいのであれば、未見の方であっても、記事をご覧になってから映画を観ることをおすすめします。
また、1度観たもののストーリーが単純すぎたり、登場人物が少なくて飽きてしまったという感想をお持ちの方にも、ぜひ目を通していただきたい記事になっています。
【解説】現役宇宙飛行士も認める圧倒的な映像のリアルさ!ぜひ環境を整えて観てほしい
映画の序盤からまず思うこととして、圧倒的な映像の美しさがあります。もちろんほとんどの一般人は宇宙に行ったことがありませんから想像でしかないのですが、光の当たり具合、地球や銀河系の星々の背景、シャトルのリアルさなど、今まさに宇宙空間から生中継しているのではと錯覚するような映像が続きます。
もちろん、実際に宇宙で撮影しているのではなく、映画のほとんどがCGで表現されています。しかし、この映画のリアルさに関してはNASAの現役宇宙飛行士もレビューで「最も忠実に宇宙空間を再現している」と絶賛しています。特にヘルメット越しに見える風景や宇宙空間においての物や人の動き、シャトルやさまざまな小道具の質感は本物そっくりだったとか。(※小さな矛盾点はもちろんありますが、そちらは後述にて)
それもそのはず、この映画は小さな小道具までNASAから提供された資料をもとに細部にこだわってCG再現されたんだそうです。実は私も茨城県つくば市「JAXAつくば宇宙開発センター」で、本物の衛星の一部が展示してあるのを見ましたが、シャトルの周りの劣化した具合や、意外にもペラペラな金属の感じなどが映画の中ではそのまま再現されていて驚きました。
また、登場人物たちを照らす宇宙の光、つまり太陽光や地球の反射光などですが、これも実際にその場にいるかのようにリアルです。いえ、実際はリアルかどうか判断はつかないのが当たり前ですが、この光の加減を再現するために専用の装置まで作って撮影に臨んだそうです。
それはライトボックスと名付けられた高さ6m、横幅3mの箱型の装置。その中に4096個ものLEDライトを取り付け、太陽の光や地球からの反射光などさまざまな角度からの光を作り出しています。
他にも、キャストの無重力空間の動きもなめらかで不自然さは全くありません。どのように撮影したのかというと、2本のワイヤーでキャストをつるし、無重力の状態を表現したんだとか。そう聞いてもにわかには信じられないほどシャトルの中のサンドラ・ブロックの動きなどは全くよどみなく、無重力空間を移動しているとしか思えません。彼女は、装置の張力を感じさせない動きを習得するために、なんと5か月間もの訓練を受けています。
そして、極めつけのリアルさは、衛星がシャトルにぶつかって破壊された時に、大きな衝突音や粉砕音などがしない無音状態なこと。宇宙では音の振動が伝わりにくいために、至近距離で起こる大きな音や体に密着して起こる音以外は基本的に無音だそうです。その忠実な再現が、かえって緊迫感を高めているんですね。
また、この映画のリアルさをよく理解できる小話があります。プロデューサーのデヴィッドが、監督のアルフォンソによく見られる手法としてこんなネタばらしを披露していました。映画中、宇宙服のジョージ・クルーニーが通り過ぎた時に、一瞬だけカメラクルーの姿が宇宙服に反射して映り込んでしまったと見せかけて、わざと映り込ませたシーンがあるとか。
これは実際に現場で撮影したということを表現する手法として、監督が良く使う小ワザです。リアルを追求するとミスと見せかけた効果的な演出もしっかり効いてくるんですね。ちなみにその映り込み箇所がどこなのか探したところ、始まって3分51秒~3分53秒のあたりで、マットが横切るんですが、宇宙服のヘルメットに宇宙服を着た音響係とカメラクルーらしき人が2名映り込んでいました!ぜひチェックしてみてください。
まだまだ謎の多い宇宙空間は、特に一般人にとっては未知の空間です。その緊迫感と臨場感を肌で感じて映画をより楽しむためのアドバイスがあります。「ゼロ・グラビティ」をご覧になる際は照明を落として、飲み物とポップコーンを準備して、スマホの電源を切るなど、映画に集中できる環境を整えてからご覧になることを強くおすすめします。
【解説】キャストはほぼ2人。ハリウッドでヒットするルールをすべて破った作品なのに高評価
「ゼロ・グラビティ」はキャストが少ないことでも話題になりました。メインキャストは2人だけで、映画中盤からのストーリーはサンドラ・ブロック一人だけで進んでいきます。しかし、映画が終わるまでの約1時間半の間は全く飽きさせませんし、手に汗握る緊迫感で最後まで楽しめます。
この理由として、1つは先ほども述べたように圧倒的な映像美があります。普通に生活している限り宇宙空間は未知の世界であり、見るものすべてが目新しく美しく、圧倒的な新鮮さ持って目に映るため、登場人物の少なさがかえって展開に集中できる好材料となっています。
もし、これで複数人の人物、複雑な人間関係などに頭を使わなければならないとすれば、これほどまでに映像美を堪能する余裕もなく、ストーリーと映像どちらも中途半端な印象になっていたかもしれません。
もう一つの理由が、サンドラ・ブロックの迫真の演技と過剰な演出がない故の緊迫感です。
ライアン教授ことサンドラがシャトルの破壊により、たった一人で宇宙空間に投げ出されてしまうシーンも、緊迫をあおるような音楽もなく、無音状態の中にライアンの激しい呼吸音だけ。パニック発作寸前の早い呼吸だけがBGMです。
そのおかげでタンクの酸素量がどんどん減っていき、こちらまで呼吸を整えなければと焦り、ますます苦しくなってくる始末です。観ているこちらも自然とライアンとリンクしてしまうんですね。
また、助けに来てくれたマットことジョージ・クルーニーが宇宙空間に投げ出されてしまい、一人になってしまったライアンがISS(国際宇宙ステーション)にたどり着くまで、残るは宇宙服の内部に残ったわずかな酸素のみになってしまいます。
低酸素により意識がもうろうとするライアンですが、宇宙空間に放り出されたマットが可能な限り通信を続けてくれるなか、息も絶え絶えになりながらもISSにたどり着きます。努めて陽気にライアンと通信していたマットですが「ガンジス川を照らす太陽・・・すばらしい」の声を最後に通信が途絶え、何とも切なく悲しい気持ちにさせられます。スピーカーから聞こえるのはマットの声ではなく、マットが通信圏外のはるか遠くに行ってしまったことを示す雑音のみが聞こえ、再びライアンの呼吸音と酸素量の低下を知らせるブザー音がメインになっていきます。
呼吸音をBGMとして何とかエアーロック(入口)にたどり着くライアンですが、ここでもドキドキをあおるような演出が一切ないからこそ、手に汗を握り、こちらの呼吸まで苦しくなるような緊迫感があるのです。
私たちは映画が佳境に入った時、それに見合う音楽や盛り上げるための大袈裟な効果音が入るのが当たり前になっています。でも、実はそんな過剰な演出が私たちの「感じる力」を退化させてしまっているのかもしれない、と感じてしまうほどの臨場感をこの映画で体感することができました。
さらに、この映画は大御所であるサンドラ・ブロックとジョージ・クルーニーという豪華キャストでありながら、ほとんど宇宙服のヘルメットで顔が隠されていますし、グロテスクな外見の宇宙人も想像上のどでかい宇宙船も出てきません。ハリウッドでヒットする要素がほとんどないのも大きな特長でしょう。
この映画で矛盾点をつくのは野暮だが、挙げてみたありえない点♪
宇宙を忠実に再現しているとはいえ、エンターテイメントとしての映画ですから矛盾点はもちろんあります。ドキュメンタリーではないので、ストーリーを魅力的に展開させる必要がありますし、観客が面白いと思わなければ映画の意味をなさないのでね。
それを「宇宙ではこんなことありえない!」と重箱の隅をつつくようなコメントを目にすることもありますが、それは野暮というもの。それを承知の上で、実際はこんなことは現代の科学では無理ですと言われてることを挙げてみます。
・船外活動ユニットの噴射は頑張っても2回が限界
・宇宙服のグローブで何かをつかむには相当な握力が必要なので、吹き飛ばされながら何かをつかむのは到底無理
・消火器の噴射で向きを変えるのは到底無理。消火器本体をぶん投げて反動で向きを変える方が現実的
・周回軌道を変える(軌道の異なるエクスプローラーからISSへ、など)ことは傾斜角が大きく異なるため非常に困難。別のシャトル打ち上げの方が常識的
などなど。宇宙開発のプロによれば、まだまだいくつもあるそうですが、そこは割愛しても大まかにこれくらいの矛盾点はあるんですね。
ただ、映画を観ながら素人の私でも思った疑問点が二つあります。
1つは「宇宙服の中身ってあんな軽装で大丈夫なの!?」ということ。ライアンがISS船内に入って一息入れる時宇宙服を脱ぐんですが、その下はパンツとタンクトップのみです。それがまた息苦しい宇宙服と開放的な下着でうまく対比になっているのも事実ですが、なんか無防備すぎですよね。
実は「宇宙開発機構株式会社」が実際にこれらの疑問点にこたえていて、本当は宇宙服の下には冷却下着なるものを着ているそうです。調べてみたら全身がつながっている赤ちゃんのカバーオールみたいなツナギのようなもので、確かに宇宙服を脱いで冷却下着になってもあまりくつろげなさそうなシロモノでした。
後述しますが、あのシーンはこの映画の根幹となる重要なテーマを表していて、本当は裸体でもよかったくらいのシーンなので、宇宙服の下はセクシーな下着である必要があったのですね。
もう1点の疑問は、ライアンとマットがISSでデブリ(宇宙ゴミ)被害に合って、ライアンがかろうじてマットののロープをつかんだシーンです。
宇宙は無重力ですから、私の乏しい物理の知識からいうと慣性の法則が働き続けて、例えば投げたボールが空気や重力の抵抗なく、どこまでも飛んでっちゃうんですよね?・・・ということは、引っ張れば法則が逆に働いて簡単に引き寄せられるんじゃないの?と思ったわけです。
つまり、あのときライアンがマットのロープをちょっと引っ張るだけで慣性の法則は逆方向に働き、マットを簡単に引き寄せられたんじゃないかなっていう疑問です。でもまあ、あれはあれでやはり映画の重要な部分ですから、マットが自らロープをはずした描写にするにはあれしかなかったんですかね。そうそう、楽しむための映画ですから、そこを忘れてはいけません。
【考察】SF映画でありながら実は「逆境」を描いた物語
「ゼロ・グラビティ」のプロデューサーを務めたデヴィッド・ヘイマンは、この映画を「逆境の物語」と言っています。ある一人の人間がとても厳しい逆境に立たされて、そこから生まれ変わることをテーマにした作品なのです。
ライアンは、愛娘を4歳の時に事故で亡くしている女性です。生きている実感もないまま生きている、ということすら気づいていないのかもしれません。そんな事実をよく踏まえた上で鑑賞すると、この映画のさまざまなシーンが意味を持っていることが分かります。
やっとたどり着いたISS船内で宇宙服を脱ぎ下着姿になるシーンで、ホッとしたライアンがつかの間休息をとります。その丸まった姿勢といい、背景のチューブが臍帯にみえることといい、母体で丸くなる胎児そのものです。
また、後にマットの幻想が現れて、生きる気力をなくしてあきらめかけたライアンにこう言います。「ここは居心地がいい。生きる意味がどこにある?だが、問題は今どうするか。大地を踏みしめ自分の人生を生きろ」
酸素も切って灯も消して、このままうずくまっていればもうすぐ娘に会えるでしょう。何も傷つけるものがない母体の中で永遠に安らぐことができるのです。その誘惑はライアンにとって計り知れないほど魅力的だったと思います。
でも、一度はその誘惑に身をゆだねたライアンは、再び地球へ帰還することを選びます。彼女の何がそうさせたのでしょう。
人はみんな居心地の良い母体から、泣きながら世の中に出てきます。出ていくと決めた時に胎児が陣痛を起こし、自ら選んで生まれてきます。どんなに逆境の中にいても、人間には母体から出て世の中と対峙する力が根本的に備わっているのです。この映画では、人間の本質的な習性や強さのようなものが描かれているのではないでしょうか。
映画の冒頭部分、ライアンがマットに「宇宙の何が好きだ?」と尋ねられるシーンがあります。ライアンは「静けさよ。居心地がいいわ」と答えます。ライアンはおそらくですが、宇宙の人知を超えた静けさの中にいると、愛娘を近くに感じることができたのではないでしょうか。
娘を近くに感じられる宇宙で永遠の眠りにつけば、必ず娘の近くに行ける、そんな風に思うのは自然なことです。それでもやはり生きることを選んだ彼女の中に人間の強さを描いた作品が「ゼロ・グラビティ」なのです。
映画「ゼロ・グラビティ」の動画が観れる動画配信サービス一覧
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