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映画『ショーシャンクの空に』のネタバレ感想・解説!人生や希望を描く名言の多い名作

映画「ショーシャンクの空に」のあらすじ・内容

映画『ショーシャンクの空に』は、スティーヴン・キング原作の小説「刑務所のリタ・ヘイワース」の映画化作品で、アメリカン・フィルム・インスティテュートが選ぶ「アメリカ映画ベスト100」に入るほどの名作です。

ドラマのほとんどが実在した刑務所の廃墟の中で進行し、その独特の世界観にハラハラした映画でした。

今回は映画『ショーシャンクの空に』のネタバレを含む個人的な感想、映画の解説を書いていきたいと思います!

映画「ショーシャンクの空に」を観て学んだ事・感じた事

・刑務所のリアルな描写がすごい!
・比喩や反復がいくつも重なる映画の作りの面白さ
・名言「必死に生きるか、必死に死ぬか」に考えさせられた

映画「ショーシャンクの空に」の作品情報

公開日1994年
監督フランク・ダラボン
脚本フランク・ダラボン
原作スティーヴン・キング
撮影ロジャー・ディーキンス
音楽トーマス・ニューマン
出演者アンドリュー・デュフレーン(通称アンディ:ティム・ロビンス)
エリス・ボイド・レディング(通称レッド:モーガン・フリーマン)
ブルックス・ヘイトレン(ジェームズ・ホイットモア)
トミー・ウィリアムズ(ギル・ベローズ)
サミュエル・ノートン刑務所長(ボブ・ガントン)
バイロン・ハドリー主任刑務官(クランシー・ブラウン)

映画「ショーシャンクの空に」のあらすじ・内容

映画「ショーシャンクの空に」のあらすじ・内容

銀行員のアンディは、酔って妻とその浮気相手の家に行き、二人を殺害した嫌疑をかけられ、有罪の判決を受けて刑務所入りが決まります。しかし、その時にアンディは酒に酔っていて、自分はやってないと思ってはいますが、そう言い切れない状態でした。

アンディは刑務所でゲイの囚人の一団に性的暴行を受け続ける辛い日々を送りますが、ハドリー刑務官の財テクにアドバイスを行った事から、刑務所での暮らし向きが変わりはじめます。

刑に服して18年後、刑務所に新たに入ってきたトミーは、前にいた刑務所で出会った囚人から、アンディの妻とその浮気相手を殺したという話を聞いたとアンディに告げます。アンディは再審請求をするべく刑務所長に訴えますが…。

映画「ショーシャンクの空に」のネタバレ感想

実際に使われていた刑務所の説得力

実際に使われていた刑務所の説得力© 1994 Castle Rock Entertainment

「ショーシャンクの空に」は、脱獄を題材とした映画なので、刑務所が舞台です。ストーリーやドラマより先に、まずこの刑務所の描写にひきつけられました。

ショーシャンク刑務所内はセットのようですが、刑務所の全景は、今は廃止されて使われなくなったオハイオ州の少年院を使ったそうで、実物を使っているからこそのリアルさでした。

 

映画の序盤、新しく刑務所に入れられた囚人たちが、護送車に乗ってこの刑務所の門をくぐるシーンがあります。そこで、新入りの囚人のひとりである主人公アンディ(ティム・ロビンス)視点のカメラが、建物を下から見上げるのですが、この絵図が強烈でした。石の壁が垂直に立っており、想像を絶するほどの高さなのです。もしこの建物や壁を登り、途中で落ちでもしたら確実に死ねるでしょう。こんな壁を登る事が出来るとは、到底思えません。「脱獄は絶対に無理」という事を視覚的に伝える、説得力のあるショットでした。

そして、この映画のほとんどは、このそそり立った塀の内側、外の世界から全く閉ざされた異様な空間で進んでいきます。最初に「脱獄はまず無理」という視覚的な情報があった上で進んでいくのが、後になって効いてきます。

刑務所内のリアルな描写がすごい

刑務所内のリアルな描写がすごい© 1994 Castle Rock Entertainment

実際の建造物としての刑務所だけでなく、この刑務所内での生活などの描写も生々しくて見事でした。刑務所内での服役の様子を描いた映画は少なくありません。

本当にあったアルカトラズ刑務所からの脱獄を扱った映画「アルカトラズからの脱出」などは、実話だけに、脱獄ものの映画の中では特にリアル志向だと思いますが、それに優るとも劣らないと感じました。

 

主人公アンディを含めた新入りの囚人たちは、最初に署長から注意を受け、消毒されて囚人服を渡され、裸で廊下を歩かされて、これから長い間過ごす事になる牢屋のある棟へと行きます。アンディに至っては終身刑ですので、下手するとこれから死ぬまで自分が住む部屋は、ずっとこの独房という事になります。もし本当に刑務所に入ったら、最初の1日は、大体こういった手順を踏む事になるのでしょうね。その時には、これからの生活や一生ここにいるのかという事など、色々な事を考えるでしょう。

ストーリー面で言えば、映画でこのシーンを入れる必要はありません。しかし、こういうシーンが入っていると、自分が刑務所に入った一日目に考えるだろう事を見せつけられるだけに、リアルです。「実際に刑務所に入ったら、こういう風にして今までとまったく違う人生が始まる」という描写なのだと感じました。

映画には、自分では実際に観たり経験したりする事が出来ないものを見る事が出来るという、一種の旅行のような楽しさがあると思うのですが、刑務所体験ができる事が、この映画の大きな魅力でした。刑務所生活をしてみたいわけではないのですが、そこに入るとどんな気分なのかを知る事ができます。

ショーシャンクの空には比喩や反復がいくつも重なる映画

ショーシャンクの空には比喩や反復がいくつも重なる映画© 1994 Castle Rock Entertainment

刑務所のリアリティに対比するように、この映画は、なにかの比喩として使われるセリフや、色々なものの反復というものが多く散りばめられていて、言葉遊びのような面白さに満ちていました。

こういう言葉遊び的な面白さは、気づかなくても映画のストーリーを追う事には何の影響もないので、気づかないまま終わってしまうものもあると思います。でも、気づかないと映画の面白さが半減してしまうものもあると思いますので、僕が気づいたものだけでも、いくつか拾っていきたいと思います。

 

「フィッシュ(新入りを示すスラング)」が新たに刑務所に入ってきた時、この刑務所で長年服役しているレッド(モーガン・フリーマン)らが、フィッシュの誰が最初に泣き出すかを予想して、他の囚人たちとタバコを賭けます。この時、レッドが言うセリフ「男なら賭けろ」が、いかにもダブル・ミーニングです。

のちにレッドは、主人公アンディが希望について語った時、こんな事を言います。「希望は危険だぞ 正気を失わせる 塀の中では禁物だ」。つまり、レッドはのちに「賭けるな」という意味の事をいうわけです。でも、アンディは希望に賭ける決断をして、レッドもアンディにつられ、最後に賭ける事になります。これを時系列にまとめると、レッドは最初はタバコ程度の賭けしか出来ない心理状況で、希望に賭ける事は出来ません。しかし、長い刑務所生活を通じて、レッドは色々と変化していき、最後に賭けに出ます。そしてこの変化に、刑務所で親友となったアンディの行動が関与しているという構図です。

所長とアンディの知的な会話の応酬

所長とアンディの知的な会話の応酬© 1994 Castle Rock Entertainment

ダブル・ミーニングや伏線は、他にも随所に張られています。妻とその愛人を殺したという嫌疑をかけられて投獄されたアンディが入れられた独房に、刑務所長のノートン(ボブ・ガントン)が訪れます。ノートン所長は、聖書を絶対視しているクリスチャンで、他の囚人にも、神の冒涜を絶対に許さない人物です。

その所長が、アンディが聖書を持っているのを見て彼と会話をします。この会話が、またダブル・ミーニングや伏線満載で、知的に面白いです。

 

アンディは聖書で一番好きな言葉は何かと尋ねられ、「起きてなさい いつ主が戻るか分からない」と答えます。ここでいう主とは神でもあり、所長や看守でもあるのでしょう。つまりアンディは、暗に「あなたに対して私は従順ですよ」と言ったのだと感じました。

この答えに対して、所長は「マルコ伝13章15節 私も好きだ」と答えます。こうして所長は、聖書のどの言葉を読まれても、それが聖書のどこにかかれている言葉であるかを丸覚えしているほどに、聖書を熟読しているという意思を示します。

そしてこのセリフは、アンディのウィットにとんだ受け答えを準備してもいます。所長は、自分が好きな言葉として、「私は世の光 私に従うものは命の光を得る」という一節を抜き出します。これは、日本の短歌でいう所の返歌となっています。アンディへこの言葉を返したという事は、所長は先ほどのアンディの言葉の意味を理解できたという意思表示でもあるでしょう。

ここでいう「私」は、神であるとともに所長の事でもありますよね。これも、ダブル・ミーニングです。さらに、これを聞いたアンディは「ヨハネ伝8章12節」と返します。アンディはこう答える事で「私も聖書は熟読していて、私の宗教心は見せかけではありませんよ」という事を伝えています。これは、宗教心の強い所長が、これ以降アンディから聖書を奪わなくなる理由にもなっているのではないかと思いました。

映画のクライマックスに繋がる所長の言葉

映画のクライマックスに繋がる所長の言葉© 1994 Castle Rock Entertainment

あっという間に通り過ぎていくこの会話シーンですが、この会話は聖書の会話をしていると同時に、アンディが所長に対する絶対服従の意志を伝え、自分の信仰心の強さを伝えながら所長から信頼を得るという、実際の会話とはまったく違う意味の事が会話されていると感じました。どういう内容の話だったかは、お互いに話さないし、またナレーションでも説明されないので、「分かる人には分かる」という類の会話かと思いますが、そういう会話を出来る事自体が、非常に知的なのですよね。

そしてノートン所長は、アンディの独房を去る際にアンディに聖書を返し、「救いはこの中に」という言葉を返します。このセリフもまたダブル・ミーニングで、物語のクライマックスになって別の意味を持つ事になります。半分だけネタバレすると、聖書の中の言葉に救いがあるというだけでなく、聖書の中にアンディの救いとなるものを忍ばせていました。そしてこの救いは、レッドの「男なら賭けろ」やアンディの「希望」と同じ意味になっているのだなあと感じました。

50年も刑務所暮らしの男・ブルックスの仮釈放と自殺

50年も刑務所暮らしの男・ブルックスの仮釈放と自殺© 1994 Castle Rock Entertainment

もともと銀行の副頭取だったアンディは、その知識を生かして、ハドリー主任刑務官(クランシー・ブラウン)の遺産相続問題を解決してあげた事から、所長や看守から一目置かれる存在になります。仕事場もきつい洗濯の仕事から、楽な図書館へと配置替えしてもらえます。その配置替えの真の意図は、所長や看守たちの税や財務の相談を受ける事だったのですが、これでもともと図書館員だったブルックスと一緒に仕事をすることになります。

そのブルックスは50年も刑務所暮らしをしており、親とはぐれてしまった鳥のひなを育ててあげるような心の優しい老人です。しかし、ブルックスは仮釈放が認められてシャバに戻る事となると大きく取り乱します。刑務所では安定した図書館員の仕事がありましたが、シャバでは食糧店で、客からも店長からもどやしつけられ、生きた心地がしません。刑務所には仲間がいましたが、シャバでは老人ひとりで部屋にいます。子どものころに一度見ただけだった車も、今ではそこら中に走っていて、ブルックスが通ろうとするとクラクションを鳴らして邪魔者扱いです。

シャバでは、ブルックスの安らぎの場所は公園だけで、そこで鳥にエサをやるだけです。疲れ果てたブルックスは、部屋に「ブルックス、ここにありき(BROOKS WAS HERE)」という落書きを残して首つり自殺します。

 

なんとも切ないエピソードでした。たしかに、老人になってから生きる環境を変えられても、そこで生きていくのは厳しいと思います。しかしこのエピソードもそれだけの意味ではありませんでした。

この映画は伏線だけでなく、反復という技法も数多く使われていましたが、服役50年の後に仮釈放されたブルックスの自殺は、のちに服役40年で仮釈放される事になるレッドの伏線であり、また同じ状況の反復でもありました。さらに、この「死ぬ」という事は、のちに繋がるこの映画のメインテーマに大きく関わる事になっていました。劇映画での映画術が、本当に満載な映画なのですよね。

アンディはなぜレコードを流したか

アンディはなぜレコードを流したか© 1994 Castle Rock Entertainment

主人公のアンディは、刑務所に入って最初の2年は、ゲイのボッグズ(マーク・ロルストン)たちに襲われ続けた上で、図書館員仲間だった出所したブルックスの自殺を知る事になります。もう、絶望的な思いの連続だったのではないでしょうか。

アンディは州議会に週に1度、図書館の本を増やすお願いの手紙を書き続け、200ドルと古書の寄付を受けます。寄付された古書の中には、モーツァルトの「フィガロの結婚」のレコードも混じっていました。そこで、このレコードをかけて、しかも刑務所中に放送します。

せっかく所長や刑務官から甘く見てもらえる立場になったのに、なぜそんな馬鹿なことをしたのでしょうか。映画の中で、「美しい鳥が訪れて塀を消すかのようだった 短い間だが皆が自由な気分を味わった」というアンディのモノローグが入ります。

 

さらに、2週間も入れられた懲罰房から出てきた後、仲間たちからなぜ音楽を流したのかと訊かれ、アンディはこう答えます。「音楽は決して人から奪えない 心の豊かさを失っちゃダメだ」「心の中には何かある だれも奪えないある物が」「希望だよ」。

アンディは心の豊かさや希望が生きるために重要なものだと言っていて、音楽はそのひとつという事なのでしょう。レコードを流した理由はこれですが、塀の中ではそれぐらい自由が制限されているのでしょうね。考えてみれば、音楽をまったく聴くことが出来ない日常というのは、かなり無味乾燥な世界なのではないかと思わされました。

この映画最大の名言「必死に生きるか 必死に死ぬか」

この映画最大の名言「必死に生きるか 必死に死ぬか」© 1994 Castle Rock Entertainment

しかし、レッドは対抗して「お前に言っとくが希望は危険だぞ 正気を失わせる 塀の中では禁物だ」と言います。これに対するアンディの返事は、いたってシンプルです。「自殺か?」

ここで、アンディとレッドの考えは対立しています。アンディは生きるために希望を持つと言っていて、レッドは生きるために希望を持たないようにすると言っているわけです。この考えの差は、のちに僕がこの映画でいちばんの名言と感じたセリフによって、もっと極端にあらわされます。

「選択肢は2つだけ 必死に生きるか 必死に死ぬか」

この言葉は、刑務所の中だけの話ではないのだと感じます。どちらが正解とは一概には言えないのでしょうし、人や状況によっても変わってくるのでしょうが、普通に生きている自分たちにだって当てはまると思わされました。挑戦する前から「それは無理だ」「そんなに頑張ったってきついだけだ」といってあきらめる事などが、「必死に死ぬ」という事なのでしょう。一方で、大変でもチャレンジする、希望を持ってそれを実現しようと前向きに生きる事が「必死に生きる」という事なのだと思いました。

 

実はこのセリフ、僕はこの映画を最初に観た時は、あまりピンとこなかったです。「必死に生きる」は分かるのですが、「必死に死ぬ」が普通に考えたらおかしな言葉なので、ピンとこなかったのです。

しかし、自分の生活に当てはめた時に、勝手に自分から降りる事をそう表現しているのかと思ったら理解できた気になれ、重みを感じるようになりました。そして、この映画のこの名言が、映画のラストに繋がっていきます。

キャストが見事!レッド役モーガン・フリーマンの反復シーン

キャストが見事!レッド役モーガン・フリーマンの反復シーン© 1994 Castle Rock Entertainment

希望に対する考えで、レッドはアンディと対立した考えを持っていますが、これはレッドがこの映画での狂言回しの役割を追っているから、意図的にそうしているのだと感じます。主人公はアンディなのですが、色々な事に対立した立場を演じて、どちらが正しいのかを観客に迫る役回りをしているのはレッドなのだと感じます。

つまり、この映画に重みが出るかどうかは、レッド役のモーガン・フリーマンの芝居次第なのではないかと思いました。もしレッド役がちょっと軽めの人であったり、二枚目であっても思慮深く見えない人であれば「ショーシャンクの空に」は、ここまで評価される映画にはならなかったかも知れません。モーガン・フリーマンのキャスティングが大ファインプレーなのだと思います。

 

レッドが対比するのは、アンディだけではありません。ブルックスも対比されます。50年服役した結果、仮出所して自殺したブルックスに対して、レッドは40年服役した末に仮出所します。シャバでのアパートも働き先も、ブルックスと同じです。そして、ブルックスと同じように、シャバでは生きられない刑務所に戻りたいと考えます。

しかし、レッドはシャバで、ブルックスと反対に「必死に生きる」選択をしました。元々は「希望は危険だぞ」といっていた人間が、映画の最初で自分が言った「男なら賭けろ」に踏み込んだのです。ここには、アンディが取った映画のクライマックスシーンが関係しているのでしょう。

原作「刑務所のリタ・ヘイワース」から変えたタイトルで可能になったもの

原作「刑務所のリタ・ヘイワース」から変えたタイトルで可能になったもの© 1994 Castle Rock Entertainment

アンディがやってのけるのは、冒頭の見上げる高すぎる建物のカットで「脱獄は無理だ」と思えた、その脱獄でした。新しく刑務所に収監されてきたお調子者の囚人トミー(ギル・ベローズ)から、他の刑務所でゴルファーとその浮気相手の妻を殺したと話していた囚人の話を聞きます。

それは、アンディが収監されてからすでに18年がたった時の事でした。アンディは所長に再審請求を願い出ますが、アンディを利用したい所長はその願いをはねつけます。

 

「もう十分に償った」アンディは、独房の壁に穴を掘って脱獄をします。そしてその穴を、女優のポスターを貼って隠していました。僕は原作を読んでいないのですが、映画ではポスターの女優が変わっていくので、「刑務所のリタ・ヘイワース」では済みません。映画で使われたポスターはリタ・ヘイワース、マリリン・モンロー、ラクエル・ウェルチの3人です。タイトルを変えたとはいえ、なぜポスターの女優を変えたのでしょうか?

3人はいずれもハリウッド映画の時代のセックス・シンボルですが、この女優の変化は、それだけ長い事アンディが冤罪に捕えられていた事を表現しているのだと思います。リタ・ヘイワースは40年代のセックス・シンボルであり(ちなみに、映画内で使われているフィルムは、映画『ギルダ』です)マリリン・モンローは50年代のセックス・シンボル、ラクエル・ウェルチは60年代のセックス・シンボルです。ちなみに、ウェルチのポスターは、映画『恐竜100万年』での有名なビキニコスチュームです。セクシーすぎます。

映画だと、アンディの入獄から脱走までの19年を表現するのが難しかったのだと思います。映画でよく使う「その時代の音楽やファッションを使う」という手法が、監獄では使えませんものね。そこで、時代の変化をポスターで表現したのだと思います。それにしても、ウェルチのポスターは最高でした!

ラストの海の美しさが最高!

ラストの海の美しさが最高!© 1994 Castle Rock Entertainment

脱獄する前にアンディは自分の夢とともに、謎解きのような言葉をレッドに残します。アンディの夢は、メキシコの太平洋に面したメキシコの港町ジワタネホにホテルを開いて、ボートを修理して、客を乗せて釣りに出る事です。

シャバで希望を失いかけていたレッドは、その言葉を思い出して、ジワタネホを目指します。そして、そこに行ってみると…透き通るように青く透明な海!もう、この世の楽園かというほどの美しさで、ここでの再会がラストシーンでした。なんと美しい場所なのだろうと、ちょっと感動してしまいました。

 

現実の「必死に生きる」の結末が、すべてこんなに素晴らしいものであるとは思いません。でも、必死に生きなければ、こういう結末になる可能性すら生まれませんよね。ひとりは19年、ひとりは40年という長い年月を刑務所の中で生きた二人でしたが、でもそれで「必死に死ぬ」選択をしていたら、こんな楽園での生活は待っていませんでした。

そして、刑務所にも入っていないのに、夢を持つ前にあきらめて死んでいるから、こういう結末は来ないんじゃないかと思ってしまいました。「必死に生きる」と「必死に死ぬ」、この言葉がどれぐらい胸に来たかで、僕のこの映画に対する余韻は変わりました。気づかない時は、正直言って「そんなにいい映画かなあ」と思ったんですが、その重みを自分の生活に当てはめて考えられた時に、すごくいいものを見た気分になりました。

 

最後にひとつ。映画の最後に、「アレン・グリーンを偲んで」というテロップが出ますが、これはフランク・ダラボン監督の友人で、この映画を撮影している頃に死んでしまった人なんだそうです。

やっぱり人生は短いんですね。「ショーシャンクの空に」を見て必死に生きたいと思いました!

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