映画「そらのレストラン」は、北海道の「せたな」を舞台にした大泉洋演じる牧場を営む設楽亘理とその家族、そして「せたな」に住む個性豊かな仲間たちとの人生を描いた作品です。
また本作は「しあわせのパン」「ぶどうのなみだ」に続く北海道映画シリーズの第3弾となります。
北海道特有の透き通った自然と、そこで自然とともに生きる人々を丁寧に描いた映画「そらのレストラン」のネタバレ感想や解説を書いていきます。
目次
映画「そらのレストラン」を観て学んだ事・感じた事
・「食べる」という営みの素晴らしさを改めて感じることができる
・人は一人では生きていけない、人が生きるには仲間が必要
・「いただきます」と「ごちそうさまでした」は、幸せのための魔法の言葉
映画「そらのレストラン」の作品情報
公開日 | 2019年1月25日 |
監督 | 深川栄洋 |
出演者 | 設楽亘理(大泉洋) 設楽こと絵(本上まなみ) 神戸陽太郎(岡田将生) 石村甲介(マキタスポーツ) 野添隆史(石崎ひゅーい) |
映画「そらのレストラン」のあらすじ・内容
家族とともに牧場を営む亘理は、せたなで生きる仲間と呑み明かしたり、市場で商品を売ったりと幸せでスローな日々を送っています。
ただ、亘理は未だ満足の行くチーズを作ることが出来ず、チーズ作りの師匠である大谷さんの指導を受けていました。
そんな折、大谷さんが突如亘理の前で倒れ、亡くなってしまいます。
大谷さんの死がきっかけとなり、亘理は牧場を畳もうとしますが、それを仲間は止めようとします。様々な葛藤と障害を乗り越え、亘理は牧場を続ける決意をし、最後に亘理と仲間たちは「そらのレストラン」を開きます。
映画「そらのレストラン」のネタバレ感想
設楽亘理とこと絵の出会いが衝撃的
映画「そらのレストラン」の冒頭は、広大で美しい自然とはかけ離れた、厳しい冬の北海道(せたな)の映像から始まります。
猛吹雪の中、こと絵は亘理の牧場を訪ねてきました。こと絵にホットミルクを用意してあげた亘理は、こと絵の「ここで働かせて下さい」という提案に対して「今は求人もしてないし、俺のお嫁さんになったら働けるけど…」と冗談で返します。
それに対し、こと絵は「お願いします」と衝撃的な一言。この一言のあと、せたなの雪は溶け、一気に時代が10年以上経ち現在に繋がります。
北海道の自然を描いたやさしい映画をイメージして観始めると、このような冒頭から始まるので本当に衝撃的でした。
ここで描かれる亘理とこと絵のホットミルクを介した一連の会話は、寒い冬の中で出会う二人を象徴していて、とても印象深い素敵なシーンになっています。
また、ホットミルクを介した会話は、映画後半でもう一度出てきます。映画後半の方のシーンでは冒頭とは逆の立場で、こと絵が悩んでいる亘理にホットミルクを入れ、彼を慰めます。
亘理とこと絵がそれぞれ支え合って生きていることが象徴されていて、全体を通してとても素敵なシーンでした。
北海道の雄大な自然と食を味わうことができる
映画「そらのレストラン」では、透き通った映像で北海道せたなの雄大な自然と、美味しそうな食べ物・料理を味わうことができます。
せたなは単に広大な土地があるだけではなく、崖から海が見えるという独特な立地にあり、亘理の牧場からはこの海を一望することができます。
また、亘理とその仲間たちが食べる食事をはじめ、映画ではあらゆる場面で美味しそうな料理が登場します。
特に映画ラストで開催された「そらのレストラン」での食事は、本当にみずみずしく豊かな印象を受けました。亘理などが「世界一のレストラン」「宇宙一のレストラン」というのも思わず頷けます。
まさに映画全編にわたり北海道の良さが凝縮された映像となっていて、映画鑑賞後は「北海道にいってみたい!」と思いましたし、また「お腹が空いた」という感想を持つ人も多いはずです。
北海道の風景が好きな人、食べることや料理が好きな人には絶対にオススメできます。
「食べる」ということに真剣に向き合うことができる
亘理たちの仲間として、招き入れられた神戸(かんべ)陽太郎。神戸は東京のコンサル会社を辞め、この土地に来てまだ日が浅いです。
神戸は食用の羊を育てているのですが、まだ自分の育てた羊を食べることはできていませんでした。ただ、亘理とその仲間とともに食事をした際、亘理やその家族が自ら育てた牛を感謝しながら、しっかりと食べることを聞き、ついに亘理は自分の育てた羊を食べます。
自分の育てたものを食べるということは、とても辛い部分があるかもしれませんが、私たちは食べなければ生きていけない存在で、そうした生態系の中で生きていることも事実です。
神戸は、せたなに来て日が浅いこともあり、そうした事実を受け入れることに時間がかかりました。せたなで生きる人々から、命を頂くことこそが「食べる」ことであると気付かされたのだと思います。
まっすぐに「食べる」ことと向き合い、食材に感謝して「食べる」ことの大切さをこの映画は教えてくれます。
大人の男子のワチャワチャ感、絆が楽しい
映画「そらのレストラン」では、主演の大泉洋さんを軸に、岡田将生さん、マキタスポーツさんが地元に住む友人・仲間として描かれます。
彼らは、お互いの食材を物々交換のようにしてあげあったり、定期的に食事を囲んだり、市場などの場所でも交流を欠かしません。
石崎ひゅーいさん演じる隆史がUFOを呼べると言って、一緒にUFOを呼ぶダンスをしてみたり、女性の胸は大きさと形どっちが大事かを話してみたり。とてもくだらないやり取りではあるのですが、ほのぼのしていて幸せな光景だと感じます。
そんな大人の男子である彼らを、彼らの妻をはじめとした町の女性陣も暖かく見守っています。男子とそれを見守る女性陣という構成にも着目すると、より一層楽しめるはずです。
もっとも、彼らはふざけあっているだけではありません。彼らの師匠・大先輩である大谷さんの死を目の前にしたときは思わず、感情をぶつけ合います。ただ仲良しなだけではなく、そこには切実な「仲間の絆」があることが読み取れます。
お互いのことを思うからこそ、お互いに当たらざるを得ない。そんな男子たちの存在は、私たちに仲間の尊さを教えてくれます。
そして、大谷さんの死がきっかけとなり、仲間たちは一度は分裂してしまいます。ただ、大谷さんの死を前に牧場を辞める決断をした亘理を止めるために、仲間たちは協力をします。
最終的に亘理は牧場を続けることになりますが、これは仲間の協力がなければできなかったことでした。
亘理の牧場を続ける決断が感動的
チーズの師匠である大谷さんのもとで長い間、自作のチーズを持ってきていた亘理ですが、ある日、亘理は大谷さんに「お前に俺のチーズは作れない」と言われてしまいます。
その言葉にショックを隠せない亘理でしたが、ショックを受けているのもつかの間、大谷さんはその場で倒れてしまいます。亘理が急いで人を呼ぶも、大谷さんは亡くなってしまいます。
亘理の目の前から大谷さんは姿を消し、残されたのは大谷さんが最後に残した「お前に俺のチーズは作れない」という言葉だけでした。
大谷さんの死、そして最後に言われた言葉にショックを受ける亘理。自分が牧場を続ける意味を見いだせなくなってしまいます。
しかし、仲間はそんな彼を見捨てませんでした。彼を呼び出し、大谷さんの工房に連れていきます。当初は工房に入ることを躊躇していた亘理でしたが、勇気を出して踏み出すと、そこには1つのチーズがありました。
実はこのチーズ、亘理がはじめて大谷さんに渡した牛乳で作ってくれたチーズです。そして、このチーズは亘理が大谷さんから作り方を習ったはじめてのチーズでした。
チーズを手に取ると、亘理にその頃の思い出が蘇ります。大谷さんが初めてチーズ作りを教えてくれた時に言っていた「自分のチーズを作るんだ」という言葉も思い出します。そして、亘理は大谷さんが最後に残した「お前に俺のチーズは作れない」という言葉の本当の意味を知りました。「自分にできることは、自分のチーズを作ることだ」と。
そうして亘理は牧場を続ける決断をし、これからもせたなで生きることを決意しました。
亘理にとって、大谷さんのチーズは「いつまでも超えられない壁」であり続けました。だからこそ亘理はアイスや牛乳の販売しかせず、自分のチーズは売り物として外に出していませんでした。
ただひたすらに、大谷さんのもとにチーズを持ってきていた亘理。亘理のひたむきさや真面目さから来たものであり、それは悪いことではありませんが、大谷さんは「自分を超えようとする」亘理に対して、違和感があったのかもしれません。
私のチーズに近付こうとするのではなく、自分のチーズを作ることに専念しろと。そうした想いから、大谷さんは最後に「お前に俺のチーズは作れない」という残したのだと思います。
私たちは、亘理のように「自分にはまだ◯◯が足りていない」「自分はここがダメだ」と、物事を考えがちなところがあり、何か目指すものがあると、その目指すものと比べて足りない自分を見つめてしまいます。
ただ、本当に大切なことは「自分にしかできないこと」を探すことであり、それは自分の個性、すなわち自分そのものと向き合うことなのだと思います。
外に目を向けて良いものを知ったり、なにかを分析することも大切だとは思いますが、本当に大切なことは「自分自身を見つめること」や「自分にしかできないこと」を見つけることなのです。
この映画を観ると「自分にしかできないことはなんだろう…」と、自分自身に投げかけることが出来ます。
「いただきます」と「ごちそうさま」という言葉が胸に沁みる
映画「そらのレストラン」では、とにかく食事が沢山出てきて、映画には「いただきます」と「ごちそうさま」が溢れています。
亘理たちの家族は毎回食事をするときに2回「いただきます」を言っており、とても印象的です。1回目の「いただきます」は、外にいる牛たちに向けて窓際で。2回目の「いただきます」は、席に座って並んだ食事に対して言います。
このシーンは何度か出てくるのですが、その度にこの家族にとって「いただきます」は本当に大切な言葉なんだなと実感することができます。
普段「いただきます」や「ごちそうさま」とどのように関わっているのか、そのことについて見つめ直さざるを得ませんでした。
家族と住んでいる人は「いただきます」と「ごちそうさま」を言う習慣があるかもしれませんが、一人暮らしの人にとっては、この言葉を言わずに食事をしている人もいるかもしれません。
この映画を観ると特に感じますが、食事というのは食材から作られていて、そこには命があるし、人間のつながりがあります。自分の目の前にある食事が、どれだけの人の手を渡ってきたのかを考えると、本当にありがたいものだと感じます。
サラダ一つとっても、そこには「野菜を作る人」「野菜を運ぶ人」「野菜を買う人」「野菜を調理する人」などがいるはずです。そうした人がいて、自分の目の前に食事があると思うと、やはり亘理の家族のように「いただきます」や「ごちそうさま」を大切にしたいと思うようになります。
この映画には、本当にたくさんの美味しそうなご飯が出てきます。それを観ていると「ああ、食べることって良いことだな」と心から思えます。
命を頂くこと、そこに関わる人に感謝すること、その全てを含めての「いただきます」と「ごちそうさま」という言葉なんだと知ることができます。
社会に必要な横の繋がりと縦の繋がりを感じることができる
映画「そらのレストラン」では多くの人が登場し、その人間関係が描かれますが、この関係性は横の繋がりと縦の繋がりの2つに分けることができます。
横の繋がりというのは亘理と妻こと絵、そして亘理と仲間たちの関係です。
友人であり仲間であり、戦友であるその人間関係は、非常にまっすぐで熱く、美しい関係です。まさに絆と呼べるような関係がそこにあることが読み取れます。
本作では横の繋がりだけでなく、縦の繋がりも描かれます。それは、自分たちを教え導いてくれる師、大谷さんとの関係です。
大谷さんは、亘理たちの食事会に直接参加することはありませんでした。亘理たちが騒いでいるのを工房の中から聞いているだけでした。ただ、亘理たちは心から大谷さんを慕い、大谷さんもまた亘理たちを子供のように可愛がり、面倒を見てきました。
この横の繋がりと縦の繋がり、どちらが欠けても人間は生きていけないことを教えてくれます。
人生の意味を教えてくれる「そらのレストラン」
映画序盤から仲間たちでレストランをはじめる計画が出てきますが、実際に「そらのレストラン」が開催されるのは映画のラストです。
そして、この映画のタイトルともなっている「そらのレストラン」ですが、この「そらのレストラン」には2つの意味が込められています。
1つはその文字通り、屋外のレストラン=青空レストランという意味です。室内ではなく屋外で、北海道の広々とした青空のもとで開催されたレストランはまさに「そらのレストラン」の名に見合った美しいレストランです。
そして、もう1つの意味「亡くなった大谷さんへ向けたレストラン」という意味です。
「そらのレストラン」では、最後の料理の中に大谷さんのチーズが出てきます。亘理は、大谷さんとの思い出をお客さんに語ります。みんなが大谷さんのことを想いながら、食事をします。
大谷さんは確かに亡くなってしまいましたが、大谷さんのことを「そらのレストラン」にいる全員が想っているその光景を見ると、人の心の中で生き続けることができると知ることができます。
大谷さんは亡くなっても、せたなに生きる人達の中で生き続けます。そして、亡くなってもなお、残った人たちに想い続けてもらえる大谷さんは本当に幸せ者です。
人生の意味を見つけることは、とても困難なことですが、亡くなっても人に何かを残せるというのは素晴らしいことで、それができる人生は生きるに値するのだと感じます。
北海道の雄大な自然や美味しそうな食事を観ながら、暖かな幸せを味わいたい方には、絶対にオススメできる映画です。