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『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』ネタバレ感想・解説・考察!アスペルガー症候群の少年が乗り越えた壁、母の愛を描いた作品!

映画「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」のあらすじ・内容

「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」は2011年のアメリが映画です。

原作はジョナサン・サフラン・フォアのベストセラー小説で、9.11同時多発テロで父親を失った少年の葛藤と成長をテーマとした作品です。

幸せな日常が一瞬にして失われた人々の心情を深く掘り下げた映画「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」の感想や考察を、ネタバレを含みながら解説していきます。

映画「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」を観て学んだこと・感じたこと

・どこか他人事だった9.11の被害者家族の心情がリアルに感じ取れる
・最愛の父を失った悲しみを放出できない少年の混乱を見事に描いた作品
・どん底の中でも少年を守る親の愛情を痛感させられる

映画「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」の作品情報

公開日2011年
監督スティーブン・ダルドリー
脚本エリック・ロス
出演者トム・ハンクス(トーマス・シェル)
サンドラ・ブロック(リンダ・シェル)
トーマス・ホーン(オスカー・シェル)
マックス・フォン・シドー(間借り人)
ヴィオラ・デイビス(アビー・ブラック)

映画「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」のあらすじ・内容

映画「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」のあらすじ・内容

アスペルガー症候群の傾向を持つオスカーは10歳の少年です。宝石店を営む父親のトーマスは、人とのかかわりが苦手なオスカーのために、ニューヨーク市内の「幻の第6区」を探す調査探検をはじめます。

そんな中、あの9.11テロでトーマスは犠牲となってしまい、オスカーは失意の中調査探検を中断してしまいます。

1年程過ぎた頃、トーマスのクローゼットで謎のカギを発見したオスカーは、鍵の秘密を探る調査に乗り出します。鍵の謎は解けるのか、そしてオスカーが乗り越えたものとは・・・?

映画「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」のネタバレ感想

映画「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」のネタバレ感想© 2011 Warner Bros. Entertainment Inc.

9・11同時多発テロを題材としている作品ということで、当時の混乱や父親を失った家族の悲しみに焦点を絞った映画かと思いきや、悲しみそのものよりも、母と子が理不尽な死向き合い、愛情によって克服するさまに焦点を当てた作品です。

これからネタバレを含み感想、解説をしていきますが、ラストでこの映画のテーマを象徴するような流れになりますので、一度映画をご覧になってからお読みになることをおすすめします。

【解説】アスペルガー傾向のある少年が抱える父親への罪悪感が原動力

【解説】アスペルガー傾向のある少年が抱える父親への罪悪感が原動力© 2011 Warner Bros. Entertainment Inc.

オスカーは好奇心が強く非常に賢い反面、人とのコミュニケーションなど苦手なものがたくさんあります。そんなオスカーのために、父(トーマス)はニューヨークにかつて存在したという幻の第6区を探す調査探検をはじめるように促します。好奇心旺盛なオスカーはすぐに調査にのめり込んでいきますが、そんな中9・11テロが起きて大好きな父が亡くなってしまうのです。

ショックから立ち直れないまま調査探検を中断していたオスカーですが、死後1年ぶりに足を踏み入れた父親のクローゼットで、封筒に包まれた謎の鍵を見つけます。オスカーは父と一緒に行った第6区調査探検の方法を生かして、そのカギに合う鍵穴、つまりは扉や金庫探しをしようと決意するのです。

オスカーは封筒に書かれていた「ブラック」という文字を頼りに、ニューヨークの「ブラック」さんを片っ端から訪ね歩きます。そこに父と鍵の謎を知る人物がいると信じて。

オスカーは調査するうえで苦手なものをたくさん克服しなくてはなりません。テロで父親を亡くしてからアスペルガー症候群の兆候もますます強くなっていきますが、さまざまな「ブラック」さんとコミュニケーションをとらなければならず、飛行機やビル、公共の乗り物など、新たに苦手になってしまったものにも立ち向かわざるを得なくなります。

最初は、なぜ父の死から1年以上も経過したこの時期、偶然見つけたカギにそこまで固執するのか違和感がありました。好奇心旺盛な少年ではあるにしろ、そこに尋常でない執念を感じたからです。そしてその理由は、調査を続けるオスカーの回想シーンで次第にわかってきます。

 

実は、事件の当日、自宅には合計6回、父トーマスからの留守電メッセージが残されていました。5回目のメッセージまでは帰宅しておらず不在だったオスカーですが、帰宅後に父の5回のメッセージを再生しTVで事件の全容を知ります。そして、留守電がワールドトレードセンタービルの中から父がかけてきたものだと知り、恐怖心から足がすくんで6回目となる父からのコールをとることができませんでした。

電話は留守電に切り替わり、父の「いるのか・・・?いるのか・・・?」と繰り返す言葉をただ聞いていたオスカーですが、突如電話が途切れ、TVではその瞬間ビルの崩壊シーンが流れます。オスカーは父の最後の求めに応じることができなかったのです。

異常にも思えた鍵への執着心は、父親に対する罪悪感が原動力になっていたのです。オスカーにとっては偶然見つけた鍵の謎を解くことが父への贖罪であったのでしょう。だからこそ、怖いものだらけの街に異常とも思える執念で毎日繰り出していくのです。

恐らくオスカーは、1年の間どうにもならない恐れや罪悪感を感じながら、混乱の闇の中でもがいていたのではないでしょうか。1年ぶりに父のクローゼットに足を踏み入れたオスカーは、そうと意識していなくても洞穴から抜け出すための、まさに「鍵」を見つけたかったのかもしれません。

だからこそ偶然鍵を見つけた時、無意識のうちに父への罪悪感から抜け出す試練を、なんとしても自分に課してしまったのだと思います。父の死から1年以上が経過していましたが、そこから父の死を乗り越えるための第一歩が始まっていたのですね。

【解説】ニューヨークの第6区は実在するのか?

【解説】ニューヨークの第6区は実在するのか?© 2011 Warner Bros. Entertainment Inc.

映画の冒頭でトーマスはオスカーに、ニューヨークにかつて存在したといわれる第6区を探す調査をするように仕向けます。オスカーはアスペルガー症候群の傾向を持つ少年で、人とのコミュニケーションなどいろいろなものが苦手です。そんなオスカーの身を案じて、父は楽しみながら苦手を克服するような試練を考え付いたのです。

第6区の調査を通じ、にぎやかな街を歩いたり、さまざまな人と話したりと苦手なことにも挑戦していくオスカーですが、第6区があったという決定的な証拠は見つからないまま、父は亡くなってしまいます。

トーマスが亡くなってから謎のカギに合う鍵穴を探して奔走するオスカーですが、その過程でも第6区に関する証拠は出てきません。映画をラストまで見ても第6区が実在したのかどうかはわかりませんし、実際第6区が存在したのかどうかは作品の中で重要ではないのですが、やっぱり気になりますよね。

 

映画の中でトーマスは「第6区が実在した、その証拠を探せ」といいますが、調べによると1898年に5区からなるニューヨーク市が形成されたという事実だけで、ニューヨークに6つ目の行政区、第6区があったという記述は見当たりませんでした。ですが、ニューヨーク市周辺のウォーターフロントやいくつかの街はニューヨークから受ける影響が強く「第6区」や「第6の地区」と呼ばれることがあるそうです。

幻の第6区は父トーマスがオスカーのために作り上げた、ファンタジーだったようです。

【解説】ネタバレ!冷たいようにも見えた母親の行動はラストの感動への伏線

【解説】ネタバレ!冷たいようにも見えた母親の行動はラストの感動への伏線© 2011 Warner Bros. Entertainment Inc.

映画が進んでいく中で、多くの人が母親のリンダ(サンドラ・ブロック)とオスカーの関係性に疑問を持ちます。なぜこの母親は父を失ってから心が離れてしまったオスカーと話し合わないのか。まるで傷付いて心を閉ざしているオスカーを放っているかのようにも見えます。

それだけでなく、トーマスが生きていた頃にしても父と子の関係があまりにもパーフェクトでコミュニケーションも密なため、最初から母親の存在はとても希薄に見えます。トーマスが亡くなってからは訳のわからない言動や、母親に対して暴言を吐くオスカーに困り果てているだけで全く手を差し伸べないように見えてしまうのです。

 

ただし、この演出はラストに向けての伏線になっています。毎日「ブラック」さんを訪ね歩くオスカーを手をこまねいて見ているだけのように思えたリンダですが、実はオスカーの部屋に入り、彼が何を考えているか、何をしようとしているかを理解し、先回りしてオスカーの安全を確保していたのです。

それは映画のラスト、謎のカギが実は父親のものでないと知ったオスカーが、どうにもならない感情を部屋で爆発させた時に、リンダがオスカーを必死でなだめる場面でわかります。実は、リンダもオスカーの名前リストに従って町中の「ブラック」さんを訪ね、息子が来るので答えてやってほしいとお願いしていました。だからオスカーは安全に一人で鍵の調査ができたのです。

オスカーをもてあましているように見えたリンダは決して手をこまねいていたわけではなく、オスカーが父親に対する「贖罪」を完結させ、前を向けるようになるのを影ながら見守っていたということが判明しリンダとオスカーは和解します。冷たいように見える母親の言動は、この感動のラストを生かすための伏線になっていたわけです。

【考察】つまらないという評価の原因は母親のネタばらし!?

【考察】つまらないという評価の原因は母親のネタばらし!?© 2011 Warner Bros. Entertainment Inc.

この映画のレビューで多く見られるのが「つまらなかった」という意見です。映画評論家の町山さんもTwitterで「アメリカでの評判はすこぶる悪い」と評していたように、国内外で感動した人が多くいる一方、つまらないと感じる人も多いのがこの映画の特徴です。

理由は「オスカーの言動が奇妙すぎて感情移入できない」「母親が最後にネタばらしするのが最悪」といったもの。特にリンダが最後に全部見守っていたことをオスカーに告げるシーンは、オスカーのプライドを傷つけるとして非常に評判が悪いんですね。

余談ですが原作本では、リンダのネタばらしはないそうですが、そこは映画として山場を作る必要があったのかもしれません。

 

そんな前評判を踏まえた上で映画を観ましたが、私はやはりラストのネタばらしがあった方が映画としてしっかり終われるような気がします。その理由の一つは間借り人の老人の存在にも関係があります。

映画の中盤、オスカーは祖母の家に間借りしている老人(通称:間借り人)と一緒に鍵穴探しをすることになりますが、実はこの老人は、父トーマスが赤ちゃんの頃、家を出て戻らなかった彼の父親、つまりオスカーのおじいちゃんだったのです。祖父は途中で鍵穴探しに没頭するオスカーの悲壮感や心の傷に耐えられなくなり、今度は孫であるオスカーのもとを去ってしまいます。

この老人がなぜ息子(オスカーの父)を置いて家を出たかというと、彼が少年の頃にドイツの有名な悲劇ドレスデン空襲にあって、その心の傷が原因で家庭を築くことができなかったらしいのです(彼はそのショックから失語症になっています)。ただし、映画ではトーマスが「父親はつらい経験をして家を出た」とオスカーに説明した時と、間借り人が筆談で「少年の頃空襲にあって、両親と防空壕に避難したが、爆弾が破裂して両親が死んだ」と告げるシーンしか説明らしき描写がありません。

原作では、彼が有名なドレスデンの空襲にあった際のエピソードや、家を出た経緯が盛りこまれ、「家族の理不尽な死に遭遇した時、人々(祖父やオスカー)がいかに乗り越えていくか」に焦点が当てられているため、母親のネタ晴らしがなくてもOKと思うんですよね。

しかし、この映画は「オスカーが死を乗り越える過程とそれを取り巻く人々、特に家族の愛情」に焦点が絞られているため、実は母親がずっと見守っていたことをオスカーが知り、愛情を感じて和解するところまで盛り込まないと映画としておさまりが悪くなってしまうように感じます。

 

そして、ネタ晴らしがあってよかったと思う理由はもう一つあります。母親が見守っていたことをオスカーに知らせることについて「子どもはすべて母親の手のひらのうちというドヤ顔にみえてがっかり」「男の子のプライドを凄く傷つける」などの意見にも一理あるのですが・・・。

オスカーは10歳という難しい年ごろ。思春期に比べて見過ごされがちですが、実は「10歳の壁」といわれる非常に難しい時期でもあるのです。それはまだまだ甘えたい、頼りたいという気持ちと、親がだんだん疎ましくなる気持ちの両方を持ち、その気持ちを自分でも持て余していながら、人生経験が少なく気持ちの折り合いがつけられないという矛盾を抱えている年齢だからです。

そんな難しい年ごろの子どもは、びっくりするような非常識で危険なことをしたかと思うと、ふとした拍子に親を振り返り「ちゃんと見ているか」確認をします。【冒険→確認→安心→反抗→冒険→確認】を繰り返しながら思春期へ突入していくんですよね。

しかも、自己が崩壊しそうなほど混乱し、やみくもに冒険をした少年は、父トーマスを理不尽な理由で突然亡くすという出来事を母親と共有しています(母親にとってはパートナーですが)。その同志ともいえる母親が見守っていることを知り、多感な少年はどれほど安堵したことでしょう。それが10歳という年ごろだと思うのです。

 

もう一つ、こんなことを思い出しました。小学生のころ、スイミングに通い始めた時、迎えのバスが来る場所まで歩いて行き、一人でプールまで通うことになりました。その初日、母親がこっそりバスの後をついて、車でプールまでついてきていたことをずっと後になってから知り、見守られていた安心感や、いつも忙しい母親が自分だけのためにたくさんの時間を割いていたことがすごく嬉しかったんですね。

もちろんこんな次元とは全く違うのでしょうが、個人的には多くの方の評価と違い、あの場面で母が見守りを打ち明けたことが、オスカーの心を開かせることになったのではと思います。

この映画は名言、名シーンのオンパレード!

この映画は名言、名シーンのオンパレード!© 2011 Warner Bros. Entertainment Inc.

「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」には心にしみる名言や素晴らしいシーンがたくさん出てきます。しかも、個人的にはレビューで悪評の多いシーンが胸にしみるという少々困惑する事態にもなりました。

例えば、母親と言い争うシーン。オスカーは空の棺を埋めて父の葬儀を済ませた母親に怒りを感じています。それは、オスカー曰くそんな「お葬式ごっこ」で気持ちに区切りをつけた(かに見える)母親が許せないし、自分が電話に出られなかった弱さを誰かのせいにして責めたかったからです。

 

ある日オスカーは、あの最後の日に母親が家におらず、父からの電話に出なかったことを責めはじめ、とうとう「あの日、ビルにいたのがママならよかった」とまで言ってしまいます。そんなオスカーにリンダは「ほんとね」と返します。このシーンは「そんなことを言われても当たり前なほど子どもに無関心な母親が悪い」や「いくら子どもが傷ついていたとしてもしっかり叱るべき」などの意見も多くみられます。

ですが、私には最も好きなシーンの一つです。子ども自身止めようがないほどあふれた感情をぶつけてくるときは、ひたすら受け止めるしかないときがあるからです。それを静かに受け止めるには強さや忍耐力が必要です。感情的にならずにまずは受け止める、とても難しいことですが愛情があればできちゃうのです。

この時の母の表情にそういった愛情や慈しみ、さらには悲しみも混じっていて泣けて泣けて仕方がありませんでした。サンドラ・ブロックの演技力のなせる業でしょう。また、オスカーは母親だから安心してやり場のない怒りをぶつけているのだ、ということもリンダはわかっていたのでしょう。

まあ「本心じゃないよ」とオスカーが言っているのに「本心よ」と逆襲してましたけどね(笑)。そんなところも人間くさくてよかったです。

【考察】誰もが気になる長いタイトル!その意味は何なのか?

【考察】誰もが気になる長いタイトル!その意味は何なのか?© 2011 Warner Bros. Entertainment Inc.

この映画は長いタイトルも話題になりました。このタイトルは何を指しているのかも議論を呼んでいます。オスカーは鍵の調査のために出会った人々を1冊のノートにまとめていて、そのノートの題名が「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」なのです。

それについてはいろんな見方ができるし、おそらく見た人それぞれの主観で解釈すればOKなのでしょう。私は、オスカーから見た父トーマスや母リンダのことなのではないかと思います。

父トーマスは、亡くなってからもオスカーの周りで雄弁に語り続けます。時には新聞記事の暗号で、時には思い出の中で。母のリンダにしても、オスカーが出掛けるたびにモノ言いたそうな目で見つめてきて、オスカーはうっとおしく思い、あしらっています。

でも、亡くなったと思っていた父は、最後にブランコに張り付けたメモで鍵の調査を終えたオスカーを祝福してくれますし、母はオスカーの行き先を把握し見守っていたのですから、二人ともあり得ないほど近くに寄り添ってますよね。

そんな両親のことを多少げんなりした思いで、でも愛情をこめて「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」としたのではないかと思います。

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