「勝手にふるえてろ」は2017年に公開された、綿矢りさの小説が原作の日本映画です。本作は、第30回東京国際映画祭コンペティション部門「観客賞」など様々な賞を受賞して大きな話題を呼びました。
ちなみに、近年様々な映画で活躍されている松岡茉優は、本作が長編映画の初の主演作品となっています。
そんな映画「勝手にふるえてろ」ですが、この記事では本作の個人的な感想や解説を書いていきます。ネタバレを含む内容となっていますので、映画を未視聴な方はご注意下さい。
目次
映画『勝手にふるえてろ』を見て学んだこと・感じたこと
・現実と妄想の世界の分け方が面白い
・松岡茉優の演技の使い分けに思わず感嘆してしまう!
・不器用ながらも妄想に逃げる自分と決別するヨシカに思わず共感する
映画『勝手にふるえてろ』の作品情報
公開日 | 2017年12月23日 |
監督 | 大九明子 |
脚本 | 大九明子 |
出演者 | 江藤良香(松岡茉優) 一宮(北村匠海) 霧島(渡辺大知) 月島来留美(石橋杏奈) |
映画『勝手にふるえてろ』のあらすじ・内容
ヨシカ(江藤良香)は、普通のOLとして生活しています。しかし、彼女は生まれてこのかた異性との恋愛経験がなく、中学の時好意を抱いていたイチ(一宮)と脳内恋愛に日々耽っていました。
そんな彼女ですが、ある日突然会社の同期である霧島(二)に告白されます。生まれて初めて異性から告白されたヨシカは喜びますが、彼女は脳内のイチの存在が忘れられません。ヨシカは脳内のイチと二の間で心が揺れます。
ヨシカはイチへの想いを確かめるため、かつてのクラスメートで同窓会を開き、イチとの再会を果たすことになるがー。
映画『勝手にふるえてろ』のネタバレ感想
【解説】現実と妄想の間で苦しむ、ある意味リアルな人間の姿を描く物語
「勝手にふるえてろ」はヨシカが現実と妄想の間で苦しむ描写がよく描かれていました。映画の冒頭から、ヨシカの荒唐無稽な妄想によるイチへの脳内恋愛模様が炸裂していますが、本作の事前情報を頭に入れていない場合は、最初は何がなんだか分からなかったですよね。
しかし、話が進むにつれて、ヨシカが凄まじいほどの妄想癖の持ち主で、一部の映像や登場人物がヨシカの妄想の産物であることが、なんとなく理解できたと思います。このヨシカが見ている現実と妄想の、差や対比などを考えるのが面白いなと感じました。
ヨシカの妄想では、ヨシカの願望や都合の良いことが反映されているので、ヨシカ自体も生き生きとしています。釣りをしているおじさんやバスで隣に乗るおばさん、そしてハンバーガーショップで働く可愛い店員。これら全てはヨシカの都合の良いキャラクターか、ヨシカの願望を反映したようなキャラクターであると言えます。
ヨシカの妄想で出てくるキャラクターは、ヨシカの話をしっかりと聞いてくれるだけでなく、ヨシカのことを快く迎え入れてくれましたよね。あの世界ではヨシカを脅かす存在はなく、彼女にとってはどこまでも安全で幸せな世界であるわけです。
しかし、現実は全くそうではありません。霧島の存在や同僚の月島みたいに、助けてもらったり救われるような時もありますが、自分の心を脅かす存在が現実には常にいます。本当はヨシカのことを気遣ってくれている優しい人がたくさんいるのですが、当のヨシカは脳内恋愛に忙しいので、そんなことは気にもとめていません。このことに気づけないヨシカも、またちょっと不幸で可哀想だなと思うところ。
そんなヨシカにとって恐ろしい現実の世界では、ヨシカは妄想の世界のように、振る舞うことはできません。強いて言えば、本当の自分の姿で振る舞えることができるのは、1人でいる自分の部屋の中くらいです。実際にヨシカは、彼女の妄想世界では歌ったりはしゃいだりしていますが、現実の会社や自宅では無口で、周囲の人から見たらただのイタイ子でした。
本作は、上記のような現実と妄想の差がハッキリ描かれています。2つの世界を巧みに映している映像は鑑賞していてとても面白いですし、2つの世界を比べて考察することもできることも本作の魅力です。
この現実と妄想の世界の話は他の映画でもよく見られますが、2つの世界がごちゃごちゃになる感じのものがあります。ですが、本作は完全に分かれていており、決して交わらないのも特徴的です。あくまでヨシカというちょっとイタイ子が思い描いているちっぽけな妄想なのですが、よく彼女の内面が描かれていて、その世界が全く現実で交わらないというのがある意味現実的とも感じられました。
本作は現実と妄想を扱っていますが、話的にはリアルに扱っていたのではないかとも感じました。現実と妄想の描き方や使い方について意識してもう一度映画を鑑賞したら、また違った楽しみが生まれてくるかもしれませんね。
【解説】ヨシカと絶滅した生物アンモナイトについて
主人公のヨシカは、現実と妄想の間で右往左往する女性です。そんなヨシカは絶滅した動物が好きで、映画の中ではアンモナイトの化石を購入していましたよね。イチとの会話でも絶滅した会話で盛り上がっていました。
ちょっと変わったヨシカの趣味ですが、この絶滅した動物であるアンモナイトは、この映画では重要なアイテムとなっています。本作のキャッチコピーでもある「この恋、絶滅するべきでしょうか?」からも、絶滅という言葉からアンモナイトとつながりがあることは明らかでしょう。
まず、アンモナイトとは生きるために、自分の体を変化させて生き延びた生物です。自分の体を変化させないと、自分を取り巻く環境で生きていけないから、アンモナイトは自ら変化しました。この生きるために自分を変化させたということは、人間であるヨシカにも同じことが当てはまります。
ヨシカの子供時代は教室でキャラクターの絵を書いている内気な女の子でした。恐らくですが、描写的に友達も多くなかったと思うので、とても寂しい思いをしていたはずです。
なぜなら、ちょっと喋ったイチに対して、あんなにも強い想いを募らせているのですから。他人と本当に関わりたくないのなら、イチに恋心を抱くことはなかったでしょう。だからヨシカは、現実では孤独だったのだと思います。でなければ、あそこまで妄想を拗らせることはなかったはずです。
そんな孤独な状態のヨシカが生きるために、必要としたのがイチの妄想です。このイチの妄想がなかったら、現実のヨシカはどうなっていたのか分かったものではありませんが、孤独という環境に、ヨシカは妄想という手段で生き延びていたのです。アンモナイトが体を変化させたように。
イチの脳内恋愛の妄想は、ヨシカにとっては彼女の生存戦略でもあったわけです。しかし、そんな都合の良い妄想もずっとは続きません。それは映画の流れから見ても明らかですよね。ずっと妄想で現実を生き抜くことは到底できないことは、想像に難くないと思います。ここでヨシカは再び自分を変化させる必要があったのです。妄想で生きる、イチを想い続けるという自分の気持ちを絶滅させることで…。
ここまで見ていくと、ヨシカは作中で2回自分を変化さているのがわかると思います。1つは、イチと出会ったことから始まったイチへの妄想、2つ目は現実を直視し霧島とキスをした時です。
ラストで霧島とキスをしたのは、ヨシカが現実と向き合ったという意味でもあると思います。アンモナイトが絶滅しないように変化したのと同じで、彼女は現実世界で絶滅しないために、再び自分を変化させたのです。結果、ヨシカの脳内恋愛は絶滅しましたが、ヨシカ自身は生き残りました。
以上のことから、アンモナイトはこの映画を紐解く上で非常に重要な存在でした。もう一度本作を鑑賞する場合は、アンモナイトを意識して鑑賞すると、新しい発見や気づきがあるかもしれません。
【解説】ヨシカの妄想が絶滅した瞬間
「勝手にふるえてろ」で個人的に印象に残っているシーンが、ヨシカの妄想が完全に絶滅してしまった瞬間です。イチがヨシカの名前すらも知らなかったという事実を突きつけられ、ヨシカが叫びながらしゃがみこんでしまうシーンになります。
ヨシカにとってイチは脳内の中では、まるで神のような存在でした。そんなイチと現実でようやく話をすることができ、絶滅した動物でも楽しく語り合ったのに、イチはヨシカの存在自体気にとめていなかったのです。この時のヨシカの慟哭の理由は想像に難くありません。
ヨシカは現実で、興味のない人の名前を全く覚える気がありませんでした。その最もたる例が「二」である霧島です。仮ににも告白された人物であるにもかかわらず、ヨシカは全く名前を覚える気がありませんでした。
ヨシカにとって名前を覚えていないということは、現実の他人に全く興味がないということ。イチがヨシカに興味がなく、ヨシカの名前を知らなかったように。ヨシカが霧島の名前を覚えようとしない理由は、イチがヨシカの名前を知らない理由と同じなのです。
だからイチがヨシカの名前を知らなかったことは、ヨシカのことを全く気にもとめていないことであり、イチにとってヨシカは無関心でどうでもいい存在である。イチにとってのヨシカは、ヨシカにとっての霧島と同じような関係なのです。
恐らくですが、ヨシカの妄想はちょっとしたことでは、絶滅することはなかったと思います。ヨシカが今まで接してきた他人との関わり方を、似たような形で大好きなイチに振る舞われたから、ショックであっという間に強固だったヨシカの妄想が絶滅してしまったのだと思います。
そう考えるとヨシカの慟哭は、長い時間も含めて考えると、想像し難いほどの絶望だったのではないでしょうか。そのため、あのヨシカの慟哭のシーンは強く印象的に残るのです。
【解説】不安定のヨシカを演じる松岡茉優の演技に感嘆!
「勝手にふるえてろ」の見どころの1つに、松岡茉優さんの演技は外せないと思います。松岡さんが演じたのは、脳内恋愛で現実と妄想の世界をいったりきたりしているヨシカ。
このヨシカですが、妄想ではかなりはっちゃけていて、明るい感じのヨシカですが、現実では融通も何もきかないようなイタイ子でした。この現実と妄想で別人のようなヨシカの演技の使い分けが素晴らしく、ヨシカの内面と現実の上辺をよく演じていて、違和感がありません。この松岡さんの演技がなければ、ヨシカというキャラクターをうまく描けなかったと思います。
現実と妄想のヨシカを使い分ける演技だけでなく、妄想が絶滅してしまうところからの不安定なヨシカの演技もすごいです。まず、ヨシカがイチから全く興味を持たれていなかったことを悟って、叫びながらしゃがみこんでしまうシーンは圧巻でした。あのシーンだけで、ヨシカの大切な何かが壊れてしまったのだなと一発でわかり、絶望感がかなり伝わってくる迫真の演技です。
その後のヨシカは、長年すがってきた妄想に依存することもできず、どこかぼーっと過ごしている時もあれば、急に激しい独り言をつぶやいたりなど、不安定な様子が違和感なく演じられています。独り言でマシンガントークの如く喋りだしたり、汚い言葉を次々と吐き散らかすシーンは、コメディ的な見方もできますし、ヨシカの不安定さをよく表していて趣深い演技だと思いました。
それだけでなく、妄想を失ったヨシカは恋愛経験もないただの初な女性です。霧島に詰め寄られて、我慢できずに逃げ出したりしたシーンなどで、ヨシカが初であることがまるわかりですよね。
前半は妄想の脳内恋愛を明るく楽しんでた様子をみせていたヨシカですが、初で不安定なヨシカになっています。まるで、ヨシカの中にはいくつかの人格があるような感じでしたね。これらヨシカの人格を、演技できっちり演じ分けることの凄さは映画を鑑賞していて面白いだけでなく、一体松岡さんはどれだけのキャラクターを演じられるのだろうと驚きました。
松岡さんの演技とビジュアルがなければ、「勝手にふるえてろ」はここまで話題にならなかったのではないでしょうか。もう一度本作を鑑賞する時は、松岡さんの巧みな演技に注目して鑑賞すると、きっと本作の面白さが増すはずです。
【考察】ラストシーンの赤い付箋と最後のセリフの意味とは?
「勝手にふるえてろ」を鑑賞し終わって、真っ先に考えることが本作のラストシーンだと思います。意味ありげな赤い付箋とヨシカの最後のセリフでありながら、タイトルでもある「勝手にふるえてろ」というセリフ。ここでは、そんな本作のラストシーンに対する個人的な考察を書いていきたいと思います。
まず、意味ありげな赤い付箋に関することですが、これは霧島がヨシカにプレゼントしたものです。ヨシカはこのプレゼントである赤い付箋をもらった時は、全く嬉しそうではありませんでしたが、ラストシーンでこの赤い付箋が重要なアイテムとなっています。
ラストシーンで赤い付箋はヨシカから離れ、雨で濡れた霧島の体に付着します。そしてその赤い付箋が濡れるシーンがありました。これはヨシカが霧島を受け入れたことでもあり、彼女が現実としっかり向き合ったという意味だと思います。
このラストシーンでヨシカは初めて霧島のことを「二」ではなく、「霧島」という名前で呼んでいました。ラストシーンまでヨシカは、霧島を名前で呼ぶことは全くありませんでしたよね。
これは、記憶力がないということではなく、現実で霧島に興味がないという意味です。現実に興味がなく、イチの妄想の方に夢中なヨシカにとっては、現実のことや現実の人間には興味の範囲外だったのでしょう。だから、ヨシカは現実で他人の名前など覚える気がなかったのだと思います。
そんなヨシカがラストシーンで霧島と呼んだのは、実はかなり大きな変化だったわけです。そしてそんな霧島の存在を、ヨシカはようやく受け入れることができ、そのことを意味しているのが赤い付箋になります。霧島から貰った赤い付箋が霧島の体で濡れる。ラストシーンの赤い付箋はヨシカのことであり、ヨシカが霧島のことを受け入れたという意味だったのではないかと思います。
そして最後のセリフである「勝手にふるえてろ」。様々な意見がありますが、個人的にはヨシカが自分に向かって言い放った言葉なのではないかと思っています。
イチとの脳内恋愛を楽しむヨシカは現実では非常に脆い存在でした。他人から寄せられる好意にもまともに応えることはできず、1人でぶつくさ意味不明なことをつぶやく。あげく、自分の脳内恋愛が壊れた時は、その場で泣き崩れる哀れとも言えるほどか弱い。イチとの脳内恋愛を楽しんでいたヨシカは、現実では自分の周りの環境に震えてる弱い存在なのです。しかし、現実の霧島を受け入れたヨシカは、かつてのイチの脳内恋愛を楽しむヨシカではありません。
ラストシーンのヨシカはそんな脳内恋愛を楽しんでいたヨシカとは決別したヨシカです。そんな脳内恋愛と決別したヨシカが、かつての脳内恋愛を楽しんで、現実では震えていた過去のヨシカ自信に言い放った言葉。それが「勝手にふるえてろ」というセリフだったのではないでしょうか。
こうしてみると、最後の「勝手にふるえてろ」というセリフは、ヨシカの最後の妄想であるので、非常に感慨深い終わり方だと思います。
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