映画『わたしは、ダニエル・ブレイク』はケン・ローチ監督によるドラマ映画です。社会の縮図や風刺が巧みに描かれ、パルム・ドールに相応しい芯の強さがありました。
今回はそんな『わたしは、ダニエル・ブレイク』の個人的な感想やネタバレ解説を書いていきます!
目次
映画「わたしは、ダニエル・ブレイク」を観て学んだ事・感じた事
・情けは「人」のためならず。じゃあ「国」は?
・展開はベタで予想しやすいのに、なぜかすごく心に響く
・しんどい洋画だけど、日本人こそ一度は観るべき
映画「わたしは、ダニエル・ブレイク」の作品情報
公開日 | 2017年3月 |
監督 | ケン・ローチ |
脚本 | ポール・ラヴァーティ |
出演者 | ダニエル・ブレイク(デイヴ・ジョーンズ) ケイティ・モーガン(ヘイリー・スクワイアーズ) ディラン・モーガン(ディラン・マキアナン) デイジー・モーガン(ブリアナ・シャン) |
映画「わたしは、ダニエル・ブレイク」のあらすじ・内容
舞台はイングランド北部の都市、ニューカッスル・アポン・タインに住む、主人公ダニエル・ブレイクは59歳のおじいちゃん。
頑固者ですが愛情深い人で、街の知り合いたちから口々に心配されても、強がるような人柄です。
40年間大工として働いていましたが、心臓発作のためにドクターストップがかかり、休職しています。支援手当で生活していたところ、担当者の判断によって給付がストップ。不服を申し立てようとしますがけんもほろろ、生活の手立てがなくなってしまいます。
仕方なく職業安定所で求職者手当を受け取ろうとするものの、これも望み薄。この際出会ったシングルマザーのケイティと、なんとか生きるべく奮闘していきます。
映画「わたしは、ダニエル・ブレイク」のネタバレ感想
ハートフルムービーではない。実話さながらの風刺作品
この作品の公式サイトやポスターは妙に感動作であることを強調しています。日本の映画業界はよくよくこういうことをするので、今さら驚きはしませんが…。(『ベイマックス』の売り出し方とか、日本と欧米でかなり違いましたしね)
名匠ケン・ローチが「今だからこそ伝えたいメッセージ」をこめたのは、間違いありません。ただそれは「隣の誰かを助けるだけで、人生は変えられる」なんて生やさしいものではないです。そもそもダニエルは、物語が始まる前から隣人を助けて回っていたのでしょう。でなければ、冒頭からいろいろな人に声をかけられ、軽口を言い合ったり心配されたりするはずがありません。
ローチ監督が伝えたかった「今」とは、先進諸国で広がる所得格差によって爪はじきにされた貧者たちの姿。いわば、負け犬の過酷な現状です。ダニエルは決して怠惰でも無能でもなく、病によって仕事ができなくなっただけなのです。
ケイティにしたってそうで、自業自得なんて言われるような失敗はないのに、国や世間に冷たく当たられてしまうのです。その過酷さが涙を誘うことはあっても、「忍耐が報われて良かったね!」という涙には繋がりません。
負け犬たちが今の社会でどんな目に遭うのか?それを実話さながらに描いた映画が、『わたしは、ダニエル・ブレイク』です。名画で泣けますが、いわゆる「泣きたいときに観る映画」ではありません。ストレスが溜まっているときに観るのは逆効果でしょう。しんどくて絶望しかねませんので、どうか日本向けの宣伝文句を鵜呑みにしないでください!
「隣の誰かを助けるだけで人生は変えられる」という話が見たければ、『クリスマス・キャロル』か何かをあたるべきです。
どこにでもありそうな、イラだたしい腹が立つ行政
この映画は、ダニエルが支援手当の審査を受けているところから始まります。事務的なマニュアル人間として質問を浴びせる担当者と皮肉交じりに答えるダニエル。その応酬はコメディそのものです。それでいて、イギリスでも小さな政府化・民営化が進んでいること、日本と変わらない「役所仕事」が横行していることを直感させるセリフ回しは見事です。
しかしこの結果、ダニエルは受給の資格を失ってしまいます。問い合わせをするも、デスクは混みあっていていて長らくつながりません。電話口からは、保留音としてヴィヴァルディの「春」が延々と流れるばかり……。この地点でもう、「あ、日本でもこういうことあるわ」と思わされます。結局電話が繋がったのは、1時間と48分後!受付人員削減はイギリスでも起きているようです。
しかしそれで判明したのは、再審査も不服申し立ても担当者からの電話がない限り不可能という制度の壁だけでした。それまで無収入とわかったときの絶望たるや!コメディ調ながら非常に深刻で、笑えない冗談そのものです。
仕方なく求職者手当を貰おうとするも、こちらは病気では貰えない模様。問い合わせなどをするにはパソコンが必要ですが、長年大工をしてきたじいちゃんには難しい話。同情を禁じえないとともに、これも日本のどこかで起きそうなシチュエーションなんですよね。何気ないシーンながら、市民に向ける監督の鋭い目線に関心させられます。
小休止をとっていたダニエルは、職員が子連れの女性ともめているのを耳にします。その女性は大事な審査に遅刻してしまい、給付を止められそうに。子どもたちの学校があるのにお金がないと訴えてもムダです。そこにダニエルが義憤をたぎらせて、「融通を利かせろ」と割って入ります。イカしたじいちゃんですが、それでも職員は冷徹!騒ぐなら警察を呼ぶと言って聞きません。ダニエルたちは追い出されてしまいます。なにも奇声をあげたり暴力を振るったりしたわけでもなく、正当に権利を主張しているだけなのに……。
一連の「まさに社会の歯車」といった行政の姿勢が、なんとも身に覚えのある像に結びつくのが不思議です。みな英語を話す白人なのに、近所の役所となにも変わらない印象を受けます。まさか、役人がこぞって人でなしということではないでしょう。どこの国の役所も、予算が削られて下っ端にも余裕がないのだと思いたいところです。だからこそ、誰も得をしない状況になっているのが悲しいですが。
ダニエルとケイティの「ご近所の助け合い」が美しい
この職業安定所の事件をきっかけに、ダニエルは渦中の女性・ケイティおよびその子供たちと親しくなります。ロンドンを追い出されたという彼女らに対し、無償で家具を直してあげるダニエル。しかもこっそり電気代までカンパします。自分だって給付を止められて苦しいのにです!そうそうできることではないですよね。
子どもたちと積極的に関わる様子は、孫をかわいがるじいちゃんのよう。そんな彼を子どもたちもダンと呼んで慕い、貧しくても暖かいひと時には、どこか懐かしささえ感じさせます。
けれど当の本人は受難続き。図書館(?)のパソコンスペースは満員だし、いざ順番が回ってきても利用時間はわずかしかありません。そのせいで求職者手当の申請をし損ねるわ、職業安定所からはつっぱねられるわで、もう何のための公共サービスかわかりませんね。最終的には隣の部屋の若者に助けてもらえただけ、ダニエルは幸運でしょう。それだけ彼が慕われていたことの証拠でもあると思います。こんなご近所での助け合いが、日本ではめっきり減ってしまったのは少し残念なくらいです。
下流階級の生きにくさがリアル
どれだけ美しい心をもち、善行を重ねていても、人間お金がなければ生きていけません。ダニエルと周囲の人たちはみな、そのために苦心します。ケイティはポスティングをしつつ職を探し、隣の部屋の若者はコネを使って転売で儲けようとしますが、なかなかうまくいきません。
ダニエルもまた求職者手当をもらうために動きます。週35時間の求職活動だの、履歴書の書き方教室出席だの、指定サイト登録だのを義務付けられ、仕方なく従事することに。手書きの履歴書を配り歩く間、彼は何を思っていたのでしょう……。確かに彼は何度も「働きたい」と口にしてはいましたが、まだドクターストップがかかった身であり、実際に働くわけにはいかないのです。国の制度にがんじがらめにされていく優しいじいちゃん…。物語は悲痛さを増していきます。
フードバンクのシーンからは、コメディらしさが完全に鳴りを潜め、事態が深刻になっていきます。フードバンクは企業から寄附を受けた食品を、生活困窮者に配給する慈善団体です。
ある日、ケイティたちが配給を受け取りに行きます。長蛇の列に並んで順番が回ってくると、倉庫のあちこちに食料が並んでいました。それで自制が効かなくなってしまったのでしょう。配給の途中にも関わらず、ケイティが無言で缶詰を開けて食べ始めてしまいます。もちろんすぐ見つかってしまうのですが、その後が本当にいたたまれないです。
ハッとして涙を流してしきりに謝りだすケイティに、なだめるフードバンクの協力員とダニエル。異変に気付いた長女も駆け寄ってきて、皆で寄り添います。気丈に振る舞ってはいても、心はもう限界だったんですね。回りの優しさと対比になるからでしょうか、母の強さにひどく心が痛みます。安易にアップで映したりしない、淡々としたカメラ回しがまたリアルで苦しいほどで哀れみを誘う名シーンです。
【ネタバレ】貧しさが人の尊厳まで奪っていく
支援手当の担当者からようやく電話がかかってくるも、やはり給付は認められません。滞納した電気量は400ポンド(1ポンドは140円ほどですから、5万円超!)にもおよび、履歴書を渡した人からは失望される始末。ダニエルの本意ではないだけに、あんまりな仕打ちです。
極めつけに職業安定所からは就職活動の証拠不十分で違反者扱いされてしまいます。求職者手当の給付も望めなくなると、もう家財をすべて売り払うしかなくなりました。それで得られたのもわずかに200ポンド。三万円足らずで、電気代の半分ほどにしかなりません。もはやどん底でした。
ケイティもまた、やりきれない貧しさから万引きをしてしまいます。その場は店長の計らいによって許されますが、それほどお金に困っていました。長女が貧しさからいじめられたという話を聞いてから、ついに風俗に手を出してしまいます。けれどすぐ、ダニエルにバレてしまうんです。
翌日、客を装って面会した二人のやりとりなどは、あまりにも切なくて見ていられません。ダニエルは辞めさせたいし、ケイティだって本当は良くないとわかっている。けれど、わずかな間に300ポンドも稼げてしまう仕事だし、昼の仕事には就けそうもありません。子どもを養っていかねばならない彼女に、選択の余地はありませんでした。ケイティの背中を見送るダニエルの無力さは、視聴者にもひしひしと伝わってきます。本当は日本のあちこちでも同じようなことが起きているだけに、胸が締め付けられそうになります。
事ここに至って、ダニエルも精神的・経済的な限界が訪れたのでしょう。その後職業安定所の職員に啖呵を切り、手当の受給をすっぱり断ってしまいます。そして「尊厳を失ったらお終いだ」との言葉を残し、スプレー缶で職業安定所の外壁に落書きを始めます!そこにはでかでかと、 “I, DANIEL BLAKE” の文字。制度にとらわれ、国にもてあそばれた男が、堂々と自分を知らしめます。
現代を生きる私たちにとって、自己表現ができないのは本当に辛いですよね。大半の人は仕事を表現の手段としていくわけですが、ダニエルはそれができません。それどころか、国の制度によってさんざん無意味な行動をさせられています。それらはダニエルの言葉通り、拷問そのものでした。
昔のヨーロッパにはこんな刑罰があったそうです。午前中にひたすら穴を掘らせて、午後には延々それを埋めさせる。終わったらまた掘らせて、埋めさせるの繰り返し。受刑者は数回のうちに気が狂ってくると言われていますが、想像に難くないですよね。日本の仏教にも、石を高く積ませてはそれを鬼が崩し、また積ませるという地獄があると言いますが(いわゆる賽の河原)、原理的には同じでしょう。成果も見えなければ評価もされない、いつ終わるかもわからないルーチンワークは罰と変わりません。
あろうことかダニエルは、それを国の福祉制度から受けているんですから、たまったものではないでしょう。あれほど優しかった彼を、落書きでしか自己表現ができない状況まで追い込んだのは、国の福祉!一見悪ふざけのようで、ただただ皮肉です。
【ネタバレ】政府にすべて奪われたダニエル。ラストは…
その後ケイティの長女がダニエルへ会いに行きます。電気も電話も止められた様子で、部屋は空っぽ。冬の寒さの中、ダニエルは毛布にくるまってこごえていました。帰らせようとするダニエルに、長女が「助けさせて」なんて言います。もうズルいですよ。真っ先に市民を援助すべき役人よりも、少女の方がよっぽどダニエルを認めて恩を返そうとする。政府ときたら払った税金分すら助けてくれないのに、子どもは誠実です。ドアを開いて抱き合う二人こそ、本来あるべき助け合いの姿でしょう。
ケイティも大人として、ダニエルのために動いてくれていました。支援手当回復のため、申し込みの専門家を立ててくれていたのです。これでようやく収入が!というところで、ダニエルの発作が再発。誰一人として死に目に会えない中、急死してしまいます。
ラストシーンはダニエルの葬式。ケイティは弔辞で、申し立てに使うはずだった意見書を読み上げます。これがもう、悔しさのこみあげる名文と言うほかありません。不憫でもあり、社会に対する怒りを呼び起こすものでもありました。『わたしは、ダニエル・ブレイク』のハイライトでもあるでしょう。「施しは要らない。私はダニエル・ブレイク。人間だ。犬ではない。当たり前の権利を要求する」たったそれだけのことが果たされずに死んでしまったダニエルに、泣かずにはいられませんでした。
【解説】この惨状は、イギリスだけの話だろうか?
自民党政権が続いてはや数年。国全体で観れば景気が良くなっている反面、大衆の所得は下がり続けているという状態が続いています。富める者がさらに儲かり、貧しいものがさらに失う、経済格差が進行しているということです。
これは安倍総理のせいでしょうか?どうでしょう、彼に非がないとは言いませんが、そもそも似たようなことは世界各国で起きています。合衆国ではオバマのときに格差が開いたため、保守的なヒラリーよりも何かを変えてくれそうなトランプに投票した人が一定数いました(結果として、あまり改善されてはいないようですが)。そしてイギリスでも、貧しい者が増え続けています。
イギリスでは近年、ホームレスが増加しています。決して、ダニエルと同じかそれ以上に歳をとった年寄りだけの話ではありません。体力のある20代の若者でさえ、路上での生活を余儀なくされているケースが少なくないほどです。日本の都市でホームレスが販売している雑誌「ビッグイシュー」も、実はイギリスが発祥というと、イメージがつきやすいでしょうか。
とはいえ、すべてのホームレスが路上で生活しているわけではありません。たとえばケイティは、ニューカッスルに来る前はホームレスの支援施設に二年間住んでいたと話しています。劇中で住んでいるアパートも、支援団体から指定されたものです。かつてロンドンに住んでいたときのように、いつ追い出されるかわからないということを考慮すると、彼女はいわばホームレス予備軍です。
後半のダニエルだって同じようなものですよね。家財もなく電気も通っていない部屋で、震えていたわけですから。家賃を払っているとも思えませんし、大家の気分次第で路上生活におちいったことでしょう。西に暖かい海流(メキシコ湾流)が流れているとはいえ、イギリスは北海道よりも北(緯度が高い)にあります。そんなところで毎日屋外生活をしたらと思うと、ぞっとしませんよね。実際、毎年百人以上が人知れず死んでいるとか。「イギリス ホームレス」で検索するだけで続々情報が出てくるので、気になった方は調べてみてください。
さて、これも日本と照らし合わせるとどうでしょうか?路上生活者の数だけ見れば、イギリスよりずっとマシでしょう。しかしホームレス予備軍に関しては、調べようもありません。
何より、イギリスのホームレスと同じように仕事に就けない(あるいは、就かない)ニート・引きこもりが数十万人いると言われています。家族が隠したりして正確な数はずーっと掴めていないようですが、少なくないことだけは確かです。彼らの収入だって、いつ絶たれるかわかりません。扶養する身内に不幸があったり、生活保護の給付がストップしたりすれば、イギリスのように路上生活者が増えてしまうことでしょう。東京や大阪の路地裏に、ひっそりと残るホームレスの……考えたくもないですね。
【考察】誰もがダンになってしまう可能性がある
『わたしは、ダニエル・ブレイク』は非常によくできた映画です。社会問題をテーマにしていながら、前提知識は一切必要としませんし、見終わったときに消化不良を起こすこともありません。多すぎず少なすぎない情報量で、無理のないストーリーを紡ぐ。一見簡素なようで、よく練られていると思います。だからパルム・ドールの栄誉に輝いたのでしょう。
ただ、一つだけ疑問が残ります。「技術も経験もある大工だったダニエルに、貯金はなかったのだろうか?」という点です。求職者手当をもらう条件を満たすために履歴書を配っていた際、ある企業主は「ここ数週間受け取った履歴書の中で、あんたが飛びぬけてた」とまで言っています。
ケイティたちのために家具を直したり、机を作ったりする腕前からしても、人々と笑い合うコミュニケーション能力からしても、それなりの収入があった方が自然です。子どももいないようですしね。それなのに支援者手当がストップしてからほんの一、二か月で、家財を売らざるを得ないほどに貧窮していました。なぜでしょう?
ここからは想像でしかありませんが、ダニエルの妻・モリーが、晩年要介護者になっていたことが関係していると思われます。いわく「心を病んだ」というモリー。それでもダニエルは妻を深く愛し、自ら介護を続けていたと言います。仕事と両立させ、昼夜逆転の生活をしながらも、施設に預けたりしなかったんですね。ダニエルの愛情深さには、頭が下がる思いです。
とはいえ、施設に預けようが預けまいが、介護費用って結構バカになりません。毎日一人で介護するのは不可能でしょうから、週に何日かはデイケア・デイサービスを頼ることになるでしょう。安くない出費ですよね。フルタイムでの仕事も難しくなるでしょうから、当然収入は減ります。となると、貯金を切り崩していくしかなくなります。それで劇中のダニエルは、お金に困っていたのだと考えられます。
それにしてもこのシチュエーション、かなり身近に感じませんか?介護による家計負担は、日本でも、いやむしろ日本の方が問題になっていますよね。ご存知の通り、日本は他国よりも速いスピードで社会の高齢化が進んでいます。それにともなった精神的・経済的な介護疲れの問題は、イヤというほどワイドショーで特集されています。ダニエルのような働き盛りも、18歳未満の若者(いわゆるヤング・ケアラー)も、介護に追われているのが今のこの国です。これからさらに悪化するのがほぼ確定しているという状況でさえあります。
それを知った上で、私たちは今の社会を見過ごしてしまっていいのでしょうか?ダニエルのように働きたくても働けなくなってしまった人が、これからさらに増加するのは目に見えています。介護中の援助はもちろん、仕事に復帰するまでの支援を手厚くしなければ、日本でもダニエルを生んでしまいます。むしろすでに生まれていても、おかしくありません。ダニエルのような高齢者ももちろんですが、十代の若者を含む家庭があのように崩壊してしまったら、本当に悲しいです。
この作品はイギリスの現在を描いたものですが、ほぼ同様に日本の現在をも描いているのです。吹替がないため少々敬遠してしまう部分もあるでしょうが、一人でも多くの人に観てもらい、下流階級の生活を頭に留めるきっかけにして欲しい!ダニエルの人生には、そう思わせる力がありました。
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