『博士と彼女のセオリー』はジェームズ・マーシュ監督による伝記・恋愛映画です。
かの有名な故スティーヴン・ホーキング博士をメインに据えた映画ということで注目された一本ですが、その実は必ずしも彼を称えるものとは言いにくかったりします。
彼が科学史に名を残すほどの功績を遺せたのは、数奇な死の運命と彼を傍で支える妻の支えがあったからなのだということを本作は描いています。
一見妙な邦題から愛の行く末まで含めて、今回は『博士と彼女のセオリー』の個人的な感想やネタバレ解説、考察を書いていきます!
目次
映画「博士と彼女のセオリー」を観て学んだ事・感じた事
・主演が見事。圧巻の役作り!
・思っていたより難しい話をしてこない。知的好奇心は満たされない
・伝記よりも恋愛に傾いている。甘くない恋愛映画としては悪くない
映画「博士と彼女のセオリー」の作品情報
公開日 | 2014年11月7日(米国) 2015年3月13日(日本) |
監督 | ジェームズ・マーシュ |
脚本 | アンソニー・マッカーテン |
出演者 | スティーヴン・ホーキング(エディ・レッドメイン) ジェーン・ワイルド・ホーキング(フェリシティ・ジョーンズ) エレイン・マッソン(マキシン・ピーク) ジョナサン・ジョーンズ(チャーリー・コックス) |
映画「博士と彼女のセオリー」のあらすじ・内容
1960年ごろのある日、若きころのスティーヴン・ホーキングは文学部生のジェーンと恋に落ちます。それまで彼は才能を持て余し気味でしたが、ジェーンと出会ったことやある教授に気に入られたこともあって、大学生活がうまく回り始めます。
しかしなぜか彼の身体は次第に言うことを聞かなくなってしまい、ついには歩いている最中に全身が硬直して倒れてしまいます。
病院での診断の結果、彼は不運にも脳と身体の関係が絶たれる難病に罹っていることが判明しました。
治療法もなく、余命二年と宣告されて消沈する彼をジェーンはなおも愛し続けます。周囲の反対を押し切って結婚し、子ども授かった二人でしたが……。
映画「博士と彼女のセオリー」のネタバレ感想
超有名な学者スティーヴン・ホーキング博士の物語
2018年春に亡くなったスティーヴン・ホーキング博士の名前は、ほとんどの人が聞いたことがあるのではないでしょうか。全身の筋肉が衰え、喋ることも歩くこともできないながらも、卓越した頭脳によって理論物理学を大きく進めた人としてTVにもよく出ていました。
そんな彼を長い間支え続けたジェーンとの恋模様が、本作のメインテーマになっています。構成・雰囲気としては『ラ・ラ・ランド』と近いところにあるように思えます。かたやミュージカル、かたや物理学界の天才を軸に据えているため、まったく共通点がないように思えるかもしれませんが、どちらも「才能をもった男女の恋模様」として捉えると同じと言えるでしょう。あわせて観れば発見がある……かもしれません。
天才というより、一人の男としての解釈が前に出ている
スティーヴンはその功績から、神格化されているように見えるほど尊敬を受けています。確かに彼の活躍ぶりは本当に素晴らしいです。とは言っても、間違いなく去年まで生き続けた生身の人間だったのも確かです。彼は決して神や精霊のような存在ではなく、ごく普通の男性らしい部分も十分にありました。
本作ではスティーヴンを、比較的「普通の男」として描こうとしている節があります。もちろん彼の才能も病気による障害も、唯一無二のものです。逆立ちしたって普通にはなりません。それでも当たり前に笑い、当たり前に人を愛するところを描こうとしているのは確かです。ゆえに天才の伝記ものといよりも、ジェーンとの恋愛ドラマ的な傾向が強くなっているので、子どものセリフがあまりない分、家族ドラマでもありません。
裏を返せば彼の天才性はやや隠れがちなので、彼のフォロワーにとっては不満な作風になっている節もあります。尺の都合もあって両立させるのは難しかったのでしょうし、下手に学術的な話ばかりするとドキュメンタリー的になったり、アクション性のない『インターステラー』のようになったりする可能性もありましたから、筆者は特段誤った判断ではなかったと思います。
エディ・レッドメインがとにかくスゴい!
本作の目玉は、やはりアカデミー主演男優賞にも輝いたエディ・レッドメインの演技でしょう。難病に罹ったスティーヴンの姿を、最後まで演じ切りました。彼は「ファンタスティック・ビースト」シリーズにも出演していますね。
彼のすごさは、「病状の悪化を表現しきっている」というところにあります。「メインキャラクターがなんらかの病気に罹っている」という映画は複数ありますが、十年単位の長い月日の中で、病状と心境がゆっくりと変化していくさまを描いたものとなるとそう多くはありません。
しかも映画の撮影は、時系列・完成時の構成の順番をなぞって行われることはほとんどありません。金銭・時間的な都合から、ロケーションやメイクなどの事情を優先するからです。そのため役者は、飛び飛びの場面を想定して役作りをしなければなりませんが、レッドメインはそういった条件の中で演じ抜いたわけですから、称賛しない理由を探す方が難しいくらいです。
邦題が英語タイトルと違っている……
洋画の邦題がイマイチになるケースは枚挙にいとまがありません。本作もそこに名を連ねてしまった一本と言えるでしょう。
本作の原題は「The Theory of Everything」で、直訳すると「万象の理論」あたりになります。スティーヴン・ホーキングが中盤から追う理論をなぞりつつ、夫婦を取り巻くあらゆるものを指したタイトルだと言えるでしょう。
しかし、「Everything(すべて)」を「博士と彼女」にしてしまったことで、意味の広がりが狭められたように思えてなりません。というか、妻のジェーンも1981年4月に中世スペイン史の分野で「Doctor of Philosophy(日本的には博士号に相当)」となっているので、表現が事実と食い違っているとさえ言えます。夫より15年遅れたとはいえ、ジェーンが博士でないかのようなタイトルをつけたことは、彼女への敬意に欠けているように思えてなりません。
また「セオリー」と「theory」も元は同じながら、今では日英間で意味が違ってしまっている言葉です。プロデュースやナイーヴなどもそうですが、カタカナになる際に別の意味で広がってしまうこともあるので、それを考慮せずに安直に流用してしまったことも問題です。
一般にセオリーというと「定石」「通例」といった意味で使われることばかりだと思います。しかし英語で「定石」は「standard tactics」や「set moves」、「通例」は「custom」「general rule」あたりが相当し、「theory」はおおよそ不適です。
では「theory」はどういう意味なのかというと、「理論・学説」あたりが相応しい訳となります。たとえばダーウィンの進化論を指して「Theory of evolution」、音楽理論を「Music theory」と呼んだりします。けれど「進化のセオリー」と言ってもあまり伝わりませんよね。
辞書の上では「セオリー」と「theory」の違いについてまだ更新されていませんが、活きた日本語を無視してこの二つの言葉を同様に扱ってしまったのは、明らかなミスと言えるでしょう。実際、「博士と彼女の定石」という日本語は意味不明です。日本の市場に合わせて恋愛映画として売りたかったにしても、もう少し言葉を選べなかったのか?と思わずにはいられません。
もちろん、ほかの洋画と同じく、邦題が変だからといって作品の価値が貶められるわけではありません。ヒドい場合には日本版だけ特定のシーンがカットされていることも皆無ではありませんが、その点は大丈夫です。
(『チャッピー』は日本での公開時、監督に無断で配給元が一部シーンをカットして問題になりましたが、それくらいだと思います)
【ネタバレ】行きつく想いは I “have” loved you
車いす生活になりながらも博士号を取得し、第二子を授かるなど、スティーヴンは幸せな生活を送っていきます。しかし想定よりも遅くはありながら病の進行は続き、ついには満足に喋れなくなってしまいます。
一方のジェーンは、スティーヴンと二人の子どもを世話しなければならない生活によって限界を迎えつつありました。ある日母の勧めもあって聖歌隊に参加し、そこで出会った男性・ジョナサンに家事の手伝いをしてもらいます。
ジョナサンは誠実な男で、ホーキング家はしばらく安定しました。第三子が生まれた際にはあらぬ噂がかけられるようにと一度距離を置くのですが、しばらくしてまた戻ってきたりと、スティーヴンにもジェーンにもなくてはならない存在となっていきました。
そんな中、スティーヴンはオペラへの招待を受け、(ヘルパーの助けを受けながら)一人でボルドーへと赴きます。ジョナサン・ジェーン・子どもたちはその間にキャンプを楽しむのですが、スティーヴンの容態がオペラの最中に急変します。生死の縁をさまよいますが、ジェーンは安楽死を拒否し、まったく喋らない状態になってもスティーヴンを生かすことを選びます。
もはや眼球しか満足に動かせなくなったスティーヴンでしたが、新たなヘルパーや専用の機械を用いながらなんとか生活に戻り、主著『ホーキング、宇宙を語る』を執筆します。この本はベストセラーになり、米国での式典に招かれることになります。その際にはヘルパーのエレインを同伴することを選び、事実上ジェーンと別れることになりました。
その際ジェーンは「I have loved you」と答えます。普通なら「I love you」、なんなら過去のものとして「I loved you」でもおかしくないにもかかわらず、あえて現在完了を使っているんですね。つまり、「出会ってから今日まで、ずっとあなたを愛し続けてきました」という継続を表しています。スティーヴンは、自分の介護に疲れたり、ジェーンがジョナサンに惹かれていると思っていたかもしれません。けれどジェーンは愛し続けていたんですね。
結局二人は離婚してそれぞれ別に再婚しますが、スティーヴンがエリザベス女王に招かれたときだけはジェーンを誘いました。イギリス人としての栄誉の場には、ジェーンが相応しいと考えたのでしょう。二人の間にはそのときになっても、愛があったのだと思います。
【解説】スティーヴンの病気はなんだったの?
序盤(1963年)に余命二年と宣告されたスディーヴンは、なんだかんだで閉幕まで生き続けます。2014年の本作の公開を見届けたのち、周知のとおり惜しまれながらも2018年に76歳で亡くなります。結果だけ見れば、発病から55年も生き続けたことになるので、驚いた方もいるかもしれません。
彼が発症したのは筋萎縮性側索硬化症(通称ALS)という病気でした。作中でも説明があったように、脳から神経への命令が伝わらなくなっていき、最終的には死に至るものです。60年代はもちろん、現在でもなお難病指定され続けています。
ALSを罹患した著名人には、第二次世界大戦前の超有名大リーガーのルー・ゲーリッグや、現在の中国を建国した毛沢東などがいます。どちらも無尽蔵に医療費を捻出できたことは間違いありませんが、それにもかかわらず、ゲーリッグは1939年に診断されて1941年に死去、毛は1972年に診断されて1976年に死去しています。スティーヴンがそれと同じ病気に罹ったとなれば、余命二年と宣告されるのも当然でしょう。
ただスティーヴンの場合は、幸運にも途中で病気の進行が急速に鈍化していきました。自然治癒されたりはしなかったものの、途中までは普通の人と同じように喋ることができたのも作中の描写と同じであるようです。残念ながらゆっくりと病の進行は続き、一時は「一分間にアルファベット一文字しか伝えられない」という状態にまで陥ったのも事実であるようですが、それでも多数のALS患者よりは幸運だったと言っていいでしょう。
ではなぜスティーヴンが罹患し、また病気の進行が遅れたのか?というと、残念ながらまったくわかりません。今なおALSの原因や治療法が不明であることからしても、そういうものなのだと思うしかないようです。もし因果関係が判明すれば、現在・未来のALS患者が助かるかもしれないだけに歯がゆいですが、こればかりは専門家の研究を待つしかありません。
ちなみに、ALSには感染・遺伝も認められないため、ジェーンや子どもたちまでALSになる可能性は一般人と同じくらい低いようです。できるだけ多くの人に幸せに過ごしてもらいたいものですね。
【考察】二人は別れなければならなかったのか
上記の通り、1960年代に死ぬと誰もが疑わなかったスティーヴンは、2018年まで生き続け、物理学界に多大な功績を遺します。ただ、わたしたち第三者からすれば「よかったね」で済む話である一方、本人や妻が内心でどう思っていたかは計り知れないものがあります。
たとえば、もしあなたが1963年のスティーヴンだったらどう思うでしょうか?自分一人では歩けないような状態で、結婚したら配偶者に多大な迷惑をかけるとわかっていても、「自分はどうせ数年で死ぬから、その後他の人と幸せになってもらえばいいんじゃないか」と思うのではないでしょうか。あるいは、「ほんのニ、三年あいだだけは、愛する人と一緒にいたい」と願うかもしれません。もしかしたら当時の彼も、そういったことを思っていた可能性はあります。
そういった一時のワガママと割り切って結婚したにもかかわらず、偶然にも10年20年と生き永らえてしまったら、どう思うでしょうか?たとえその間に歴史に残るような研究結果を示し、ベストセラーとなる本を出版できたとしても、「愛する人を20年間も介護させてしまった」という罪悪感が残るのではないでしょうか。
自分の口から感謝が伝えられるうちはともかく、それさえ出来なくなってしまえば、いっそう心苦しく思えてしまうのではないかと思います。そういった気持ちが積もってしまって、「ジェーンはもう自分から解放された方がいい」と思ったのかもしれません。少なくとも映画の中では、そのような感情があったように見受けられます。
もちろん、現実にはどうだかわかりません。生前のスティーヴンはそれなりに女性関係の疑惑もあったようですし、エレイン・マッソンにも「スティーヴンを虐待している」といったウワサが流れたこともあります。何か脅迫されていたのかもしれません。エレインとは1995年に結婚しながら2011年に離婚していることからも、円満に生活していたのかは怪しかったりします。なにか公表されていない、スティーヴンだけが隠し持っていた苦しみがあるのかもしれません。
とはいえ、行動理由が一つだけと決めつける必要もありませんし、それを本人がハッキリ言語化しようとしていたかも不明瞭なので、もはや理由の全容は知りようもありません。それでも、スティーヴンが日々介護されていることに何も感じていなかったとは思えないこと、ジェーンの幸せを考えていたことを考慮すると、離婚を決断したことに特に不自然さは感じません。もしジェーンのことを想っていなかったのなら、後日女王の謁見に誘うこともなかったでしょうから、なおさらです。
問題があるとすれば、ジェーンに面と向かって相談しなかったことでしょうか?ただそれも、訊いてしまったら離婚を拒否されると見込んだ上での判断だった可能性もあります。少なくとも筆者(男)の目線では、そのように判断しました。それ自体ももしかしたら、尽くすタイプの女性目線では大きな悪いことなのかもしれませんが……?
【評価】主演と夫婦の物語としての出来はよい
『博士と彼女のセオリー』は難病に翻弄された男女の物語として捉えると、とてもよい映画です。年を追って悪化していく夫の演技を筆頭に、妻の献身やイギリス的な人々、世界に共通する男女・ゴシップの不都合などをしっかりと描いているところは高く評価できます。
そのぶん、触れ込みにあるようなスティーヴン・ホーキングの天才性の表現は今一つで、知的好奇心を満たすことはほとんどできていません。だからこそ、あえて「大きな障害を乗り越え、長年愛しあった夫婦の物語」としてオススメしやすい映画でし。甘くない恋愛映画としてよくできています。
(Written by 石田ライガ)
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※2019年9月現在の情報です。