1988年のアメリカが舞台となり、実際にあった大統領選挙の事件を題材にした映画「フロントランナー」。
本作の主人公である政治家のゲイリー・ハートは、あのジョン・F・ケネディの再来とも言われたカリスマ性を有しており、今回の選挙の最有力候補(フロントランナー)でした。
アメリカ全土を巻き込む事件を描いたサスペンス映画「フロントランナー」のネタバレ感想や解説を紹介します。
目次
映画「フロントランナー」を観て学んだ事・感じた事
・アメリカの選挙制度について知ることができる!
・切れ味あるアメリカンジョークが癖になる
・民主主義や政治について考えさせられる
映画「フロントランナー」の作品情報
公開日 | 2019年2月1日 |
監督 | ジェイソン・ライトマン |
脚本 | マット・バイ |
出演者 | ゲイリー・ハート(ヒュー・ジャックマン) オレイサ・リー・ハート(ヴェラ・ファーミガ) ビル・ディクソン(J・K・シモンズ) ベン・ブラッドリー(アルフレッド・モリーナ) |
映画「フロントランナー」のあらすじ・内容
映画冒頭では、メインとなる1988年の4年前の大統領選挙が描かれます。
ここでゲイリー・ハートは、当初は目立たない候補であったにも関わらず、その平易な語り口とカリスマ性、ビジュアルで一気に前に出てきます。もっとも、この選挙では結果が出せなかったものの、4年後の大統領選挙では、最有力候補(フロントランナー)となります。
終始選挙戦を有利に進めていたゲイリー・ハートでしたが、そこに1つのスキャンダルが見つかります。そのスキャンダルによって、ゲイリー・ハートの選挙戦の様相は一変していきます。
映画「フロントランナー」のネタバレ感想・解説
アメリカの選挙制度について知ることができる!
そもそも、アメリカの大統領選挙とはどのような仕組みに基づいているのかを簡単に解説します。
アメリカの大統領選挙は、2本立ての選挙になっています。1つは、政党内の候補者を選ぶための予備選挙、もう1つは政党の候補者同士によって行われる本選挙です。
アメリカは、民主党と共和党という二大政党制によって政治が運営されており、ほとんどの議員はこの政党のいずれかに所属しています。そして、このそれぞれの党で誰を大統領候補にするのかを決め、最終的にそこでそれぞれ選ばれた2名が一騎打ちで本選挙をするという仕組みになります。
映画「フロントランナー」で描かれる1988年の選挙は、民主党の予備選挙になります。すなわち、ゲイリー・ハートが戦っているのは、この民主党内の候補者を決めるための選挙というわけです。
そして、映画「フロントランナー」は一貫してこの選挙戦の裏側を描いていく映画になるので、映画を観終わった後は、アメリカの選挙制度の概要が分かるようになります。特に、日本の選挙との相違点である「マスメディアでの討論会の存在」等について、理解が深まるはずです。
アメリカの社会制度・政治制度に関心がある方や、選挙が好きな方にはうってつけの映画です。
ヒュー・ジャックマンやJ・K・シモンズの演技が印象的!
本作の主人公であるゲイリー・ハートを演じたのは、あの「X-MEN」で有名なヒュー・ジャックマンです。最近では「グレイテスト・ショーマン」の印象が強い方も多いかもしれません。
ヒュー・ジャックマンの演技をどの映画で観たかにもよるかと思うのですが、今回のヒュー・ジャックマンはとても新鮮に映るかもしれません。
ヒュー・ジャックマン演じるゲイリー・ハートは、本当に魅力的な政治家として描かれます。庶民にも分かりやすい平易な語り口、これまで目が向けられてこなかった田舎に住む人々や若者に目線を向ける、まっすぐ真剣に政治に向き合っている人物です。
もっとも、妻との間にトラブルを抱えていたり、家族に関することは内部のスタッフにもあまり話さないなど、裏の暗い部分はあるのですが、そうした部分も含めてヒュー・ジャックマンの演技が非常に印象的です。
また、J・K・シモンズがゲイリー・ハートの参謀役として登場するのですが、とても魅力的な人物として描かれています。
J・K・シモンズというと、「スパイダーマン」の編集長役をイメージする方も多いと思います。本作のJ・K・シモンズは見た目こそあの編集長に似ていますが、その人柄を含めた振る舞いはまるで違います。
ゲイリー・ハートという稀にみる有能な政治家を大統領にすべく、選挙キャンペーンスタッフのまとめ役としてスタッフを鼓舞するJ・K・シモンズの姿は非常に印象的です。
小気味よいアメリカンジョークと爽快なテンポが癖になる!
本作は、アメリカ大統領選挙の裏側を描くという極めて重厚かつシリアスなテーマになっていますが、そこに出てくるのはアメリカに生きる普通の人々であり、アメリカンジョークも飛び交っています。
また、記者の一人が飛行機で優遇されてしまうのに、周りは全く相手にされないシーンなど、状況として面白いシーンもいくつもあります。
日本人として観ると、少しわかりにくいジョークもあります。しかし、シリアスなテーマを描く映画でありながら、ところどころ出てくるジョークによって、映画全体のバランスが保たれている印象を受けるはずです。
また、本作はとにかくテンポが良いです。1984年の大統領選挙にはじまり、1988年の大統領選挙の1週目、2週目、そして3週目と描かれていきます。
一つ一つの時系列がドンドン前に進んでいきますし、シーンも爽快感を感じるくらいにすばやく進んでいきます。
もちろん、クライマックスのスキャンダル発覚に近づくに連れて、丁寧に描かれていくのですが、会話をひたすらするような長くて冗長なシーンはなく、テンポよく物語が進んでいきます。そのスピードが、本作のシリアスでスマートな印象に繋がっているといえます。
記者の役割について考えさせられる
本作の主人公はあくまでゲイリー・ハートですが、ゲイリー・ハートは選挙戦をとにかく戦い抜こうとする人物です。実際に物語としてのクライマックスになるスキャンダルの発覚を暴いていくのは、記者の存在です。
本作では、結果としてゲイリー・ハートの不倫が記者によって暴かれ、それを受けゲイリー・ハートは選挙戦を降りることになります。アメリカを変えることができたかもしれない聡明な政治家は、スキャンダルによって大統領への道を塞がれたわけです。
「フロントランナー」に登場する記者の多くは、政治家に不正や不道徳な部分があってはならないと考え、国民の側に立ち、政治家を監視する機能を果たすべく、今回のゲイリー・ハートのスキャンダルも記事にしました。
ゲイリー・ハートは他の議員にもまして、政治家の倫理というものを強調していました。そのことは、映画の前半部分でも丁寧に描かれます。だからこそ、このゲイリー・ハートのスキャンダルにアメリカ全土が驚愕したのです。
その後のゲイリー・ハートの危機対応の失敗も相まって、ゲイリー・ハートの大統領の道は消えてしまいました。
政治家が倫理的であるべきなのかどうか、政治家は実力こそが全てではないかと考える人にとって、本作のラストは納得いかないものかもしれません。そして、政治家であっても不道徳ではならないと考える人だとしても、果たしてこれは正しいことなのかと考えたくなるはずです。
本作を観ると、記者をはじめとしたマスメディアの役割、そしてマスメディアから情報を受け取る私たちの役割について考えさせられます。
映画「フロントランナー」では、1988年といいう今から30年以上前の時代が描かれています。当然スマホはないですし、TwitterをはじめとしたSNSもありません。
現在は、この「フロントランナー」の時代よりもさらにこうしたスキャンダルは加熱しやすくなっています。映画を観ていると、そうした現代の不祥事とこの映画のスキャンダルが、自然と重なってみえてきます。
そのため、現在の社会をも見直すきっかけにもなってくれる映画です。
選挙が持つパワーを知ることができる
映画「フロントランナー」では選挙が一貫して描かれ、そこには単なるアクション映画にはないスリルや爽快感やパワーがあります。
そして、そうしたスリルやパワーは、この映画だからこそあるものともいえますが、描かれている「選挙」の持つパワーに起因しているようにも思えます。
日本でも衆議院選挙や参議院選挙となると、なんとなく社会が浮足立ち、その結果に白熱する人も少なくありません。「政治には、関心がないよ」という人もいるかもしれませんが、それでもこれまでやってきた選挙を振り返ると、その独特な雰囲気を思い出す人も多いのではないでしょうか。
クラスの学級委員を決める学級選挙や中学・高校の生徒会長を決める生徒会選挙など、日本にも選挙が溢れています。そこにある独特の高揚感をこの映画はうまく利用しています。
相手の候補の動向を知る、演説内容を精査する、政策を打ち出す、そのどれもが選挙特有の面白さです。
特にこの映画では、参謀役のJ・K・シモンズなどと協力しながら、有利に戦うゲイリー・ハートの選挙戦は観ていて非常に気持ちよく、爽快感があります。
選挙戦の熱い攻防、相手を出し抜いていく頭脳戦、そこにひしめく権力を目指す者たちの欲望や嫉妬など、選挙の面白さが映画「フロントランナー」には盛り込まれていました。
民主主義・政治の難しさを体感することができる
本作のテーマをまとめるのは非常に難しいのですが、一つの軸としてたしかにあるのは「民主主義の価値」です。
民主主義の価値と言ってしまうと、非常に堅苦しく聞こえますが、要するに「選挙とはなにか」「国民による政治とはなにか」ということです。
本作では、結果として有能な政治家であるゲイリー・ハートが一件のスキャンダルによって、大統領の道から外れることになりました。それは、マスコミがスキャンダルを取り上げたからでもあるのですが、国民自身がこのスキャンダルに否定的な反応を示したことが一番の原因です。
政治の言葉には、「ポピュリズム」という言葉があります。「ポピュリズム」とは、一般大衆に迎合して人気を煽ることで得票しようとする政治姿勢のことを指します。政治の内容等には着目せず、あくまでそのパフォーマンスによって煽動されるようなイメージです。
この映画では、実際に力があり信念もあったゲイリー・ハートという政治家がスキャンダルによって失脚しますが、それはポピュリズムの裏返しのことが起きたともいえます。
すなわち、力はあっても不人気によって風が変わり、大統領の道を絶たれてしまうということです。
ゲイリー・ハートは過ちを犯しましたからこそ、大統領になるべきではなかった。そう考えることもできますが、ゲイリー・ハートは一つのスキャンダルによって、家族すら危機にさらされてしまったわけです。
そこにあったのが適切な民主主義だったのか、非常に難しい判断になるはずです。
「国民の国民による国民のための政治」そのことの実践がいかに困難か、「フロントランナー」では教えてくれます。
「プライバシー」と「知る権利」の対立
本作では、ゲイリー・ハートのスキャンダルが取りざたされるわけですが、こうしたスキャンダルの問題というのは、2つの価値が対立していると分析することができます。
2つの価値とは「プライバシー」と「知る権利」です。どちらも聞いたことはある言葉かもしれませんが、改めて解説してみます。
「プライバシー」とは、日本では私生活上の事柄をみだりに公開されない権利とされています。このことは、基本的にはアメリカも同じです。プライバシーが保護されていることによって、普段私たちの固有の情報は守られていると言えます。
もっとも、この権利は一定の場合、制約されることがあります。その代表が「知る権利」です。
「知る権利」とは、マスメディアがよく主張する権利ですが、要するに国民として知るべきことがあるときは、そこに取材していく権利のことです。
「表現の自由」という言葉を聞いたことがある人もいると思いますが、この「知る権利」はしばしば「表現の自由」と表裏の関係にあると言われています。表現をするためには、その前提として知らなければならない。だとすれば、表現のために知る必要があるという考え方です。
どちらが優先するのかというのはケースバイケースなのですが、一般的には本作のゲイリー・ハートのような政治家(公人)の場合には、「知る権利」の要請が強く働くとされています。政治家であるからには、国民にどのような人間か知られる必要があるということです。
たしかに、国民に選ばれて一定の権力を預かる立場にある政治家には、「知る権利」が強く働きますし、その結果として清廉潔白なプライベートが望まれることになります。
ただ、この映画を観ると「行き過ぎたプライバシー侵害は、誰のためにしているのか」という疑問を抱く人も多いはずです。
また本作では、ゲイリー・ハートと過ちを犯してしまった女性のてん末も描かれるのですが、こうした公人の周りにいる人物も含めて、プライバシーを侵すことに問題はないのかと考えさられます。
「プライバシー」と「知る権利」の対立という観点でこの映画を観ると、非常に高度な政治的・法的課題がそこにあると知ることができます。
サスペンスでしか味わえないワクワクがある
本作は、いわゆるサスペンスというジャンルに分類される映画です。
ここまで、少し政治や選挙、権利などとの関係を説明してきましたが、この映画はもちろん、純粋な映画としてもとても楽しめる映画になっています。
特に、サスペンス特有の「この後どうなる?」「どうやってこの状況を乗り切るんだ?」といったワクワクは非常に強い映画になっています。
ゲイリー・ハートのスキャンダルの存在に気づき、張り込みをすることで真実に迫ろうとする記者たち、記事が出ることを知り、対応に悪戦苦闘するゲイリー・ハートの陣営、そのどのシーンをとっても非常にハラハラするシーンになっています。
真実はどこにあるのか?と真実に迫ろうとするマスコミや、それでも大統領を目指すゲイリー・ハート陣営。この対立がアメリカ全土に大きな影響を与えます。
この映画は、最初に述べたとおり、本当にあった出来事です。1988年、このスキャンダルがなければ、ゲイリー・ハートが大統領となっていたかもしれません。彼が大統領になったことで、その後の歴史が変わり、今の社会が大きく違ったものになっていたのかもしれません。
そう考えると1つの出来事が持つ重み、そして人生の不可思議も感じてしまいます。
社会問題や政治に関心がある人はもちろん、サスペンスが好きな方には強くオススメできる映画です!