映画『提督の艦隊』はロエル・レイネ監督による歴史映画です。他ではまず見ることのできない、ローカルな英雄の活躍を目撃できる男の一本でした。
今回はそんな『提督の艦隊』の感想を、いつもより解説多めでお届けします!
目次
映画「提督の艦隊」を観て学んだ事・感じた事
・日本にまったく馴染みにない題材であるだけにとても新鮮
・汗臭い男のドラマを見せてくれる
・ハリウッド作に比べるとさすがにCGが粗末
・脚本には煮詰める余地があるが、歴史の無常を教えてもくれる
映画「提督の艦隊」の作品情報
公開日 | 2015年1月29日(オランダ) 日本国内では劇場未公開 |
監督 | ロエル・レイネ |
脚本 | ラース・ブーム アレックス・ヴァン・ガレン |
出演者 | ミヒール・デ・ロイテル(フランク・ラマース) ヨハン・デ・ウィット(バリー・アトスマ) 蘭総督ウィレム3世(エグバート・ヤン・ウェーバー) 英王チャールズ2世(チャールズ・ダンス) |
映画「提督の艦隊」のあらすじ・内容
17世紀、オランダはヨハン・デ・ウィットの政治主導の元、世界的に栄華を極めていました。しかし、オランダの利権を奪おうと、島国のイギリスが度々妨害を行ってもいました。
1654年、オランダ海軍のリーダーとなったミヒール・デ・ロイテルは、大型の新造船や新たな統率システムによって、国家海軍力の遅れを取り戻していきます。改革は順調に進んでいきますが、イギリスの他とは別に陸の大国フランスもオランダを狙っていて……。
映画「提督の艦隊」のネタバレ感想
ミヒール・デ・ロイテルという知られざる英雄の物語
ミヒール・デ・ロイテル。この男の名を知っている人は、日本の中にはほとんどいないでしょう。高校世界史では、難関大学の入試問題の中にさえ出てはきません。古今東西の英雄を集めた『Fate』シリーズの中でも、彼が登場する気配はありません。海を舞台にしたゲーム『大航海時代』シリーズにおいて、ようやくその名前が確認できる程度です。
しかし、オランダの歴史において彼は国を守った英雄です。海の支配権がイギリスに移りつつあった17世紀後半、ロイテルはその手腕によって何度もイギリスから戦勝をもぎ取りました。
18世紀以後の経済的覇権は奪いとられてしまったものの、ロイテルがいなければオランダという国が消えていた可能性もあったでしょう。オランダ内の生地フリシンゲンにはロイテルの立派な銅像が残っていますし、20世紀にも彼の名を冠した戦艦が造船されました。オランダがユーロを使う前の通貨(ギルダー)には、紙幣に肖像画が使われてもいました。尊敬のほどがうかがえますね。
『提督の艦隊』はそんなロイテルの盛衰を描いた映画です。『それでも夜は明ける』並みのダサい邦題がつけられていますが、原題は「Michiel de Ruyter」彼のフルネームそのままになっています。
まず馴染みのない17世紀の海戦の様子を観ることができる、珍しい映画です。世界史に興味がある方にとっては、300年以上前のヨーロッパを知る助けとしてはうってつけの資料にもなるでしょう。中世よりも進歩していながら、近代化はされていないころの戦争の様子を観ることのできる、かなり男らしい映画でもあります。大金をかけたアメリカ映画に比べるといくつかCG合成が甘い部分もありますが、それを補って余りある独特な世界に引き込んでくれる一本です。
【解説】当時のオランダってそんなにすごかったの?
現代的にオランダというと、貧乏ではないにせよ、特別繁栄しているイメージもあまりないと思います。2018年の名目GDP(国内総生産)の国別ランキングを見ても、17位という位置にいます。とはいえそれは人口の少なさも原因にあるでしょう。人口1人当たりの名目GDPなら19位で、ドイツ・イギリス・フランスそして日本らを抜いています。一般人の豊かさなら並みいる強国にも勝っているんですね。
ちなみに国土は九州よりほんのちょっぴり小さい程度ながら、人口は400万人くらい多いです(1300万と1700万。もっとも日本列島は森と山が多いので、人が住める土地はオランダの方が多いはずです)。
そんなオランダですが、17世紀前半の繁栄ぶりは今の比ではありませんでした。世界中で商売をして、どこにも負けない儲けを上げていました。初期のオランダ(ネーデルラント連邦共和国)は1581年に成立とされているかなりの新興国家で、その時も九州程度の大きさしかありませんでした。にもかかわらず、建国時からすでにイギリス・フランスから目をつけられるほどの経済力を持っていたんです。なぜでしょう?
その秘密は二つあります。一つは、元々経済力のある場所が団結して出来た国だったということです。オランダ・ベルギー・ルクセンブルクに当たる場所は本来ネーデルラントと呼ぶのですが(そもそもオランダという名前自体、江戸時代に生まれたものであり、日本の中でしか通じません)、この土地は中世からどんどん発展を遂げ成長していました。
特に毛織物産業や海上貿易における経済力は特筆すべきものがあり、まるで街一つが独立国のような力を持っているかのようだったそうです。電気はおろか蒸気機関もまだなかった時代において、風車によるエネルギーを利用できるのも追い風になっていました。
ネーデルラントは1555年に一度スペインの統治下に入るのですが、スペインの政治が悪かったため、ネーデルラント人はオラニエ公ウィレム1世を中心に反乱を起こします。数十年の抵抗の間に南部は脱落してしまいますが、北部は戦いの末に独立を果たします。この北部がほぼ現在のオランダに相当し、南部はずっと後にベルギー・ルクセンブルクとなります。つまり新興国と言ってもゼロからスタートしたわけではなく、ある程度発展していた都市の集合体がスペインに対抗して組織された国だったんですね。そのため地力は国として成立する前から高かったわけです。
もう一つの秘密は宗教観です。宗教と経済には一見なんの関係もなさそうですが、実は関係大アリだったりします。というのは、宗教はそれぞれの教義の中で、何かを禁止することがあるのに由来します。有名なのはムスリムが豚を食べないとか、ヒンドゥー教徒が牛を食べないといったものでしょう。これらと同じように、教義の中で経済活動を制限することがあります。
キリスト教の中では元々、「利子付きの金貸し」と「蓄財」を禁止していました。お金を貸すなら利子なしで、お金が貯まったら教会に寄付という決まりになっていたんです。もっとも寄付の方はそこまで徹底されていたわけではなく、ぜいたく品に使うことも少なからずありましたけどね。
しかし、16世紀になって転機が訪れます。ルターが始めた宗教改革によって、それまでとは違う教義を真実人が増えていったんです。ルターの後に新たな説を唱えた人は複数いましたが、その中でもカルヴァンの説は特徴的でした。彼はキリスト教でありながら、「利子付きの金貸し」と「蓄財」を許可したんです。これがネーデルラント人のような金持ちにウケて、信者を増やすようになっていきました。これが実質的に心理的な後押しになって、カルヴァン派の人々は積極的にお金を稼ぎ、うまく使うようになっていきました。
カルヴァンの教えによって解放されたのは、金貸しと貯金だけではありません。それらと共に、投資もされるようになりました。事実、世界最古の証券取引所が、1602年にアムステルダムで設立されています。それによって「金がさらなる金を生む」というサイクルが、中世とは比べ物にならない速度で回りはじめます。この流れにうまく乗ったために、17世紀のオランダは莫大な富を得たんですね。
ただし、商売人のオランダ人は、ひとつ大事なことを見落としていました。それは、「いくら商売で儲けても、戦争で負けたら奪われる」ということです。売上金もそうですし、お金を生み出すための資本もそうです。どんなものもすべて、横取りされたらオシマイなんです。このことをよく知っていたのがイギリス人でした。オランダ人が軍にかける費用をさほど増やさなかったのに対して、イギリス人は儲けたお金を積極的に軍事費へと投入していきました。そしてオランダとの戦争に勝ち、オランダが持っていた海外市場を横取りして、大英帝国への足掛かりにしていきました。暴力はすべてを解決するということですね。
イギリスは、16世紀までは独立を支援するほど、オランダに好意的でした。しかし17世紀から段々と敵視するようになっていきます。1623年にアンボイナ事件でオランダに負けたあたりから抵抗心が顕著になり、1651年に航海法を制定したことを皮切りに逆襲を始めていきます。といっても戦力的に決定的優位に立っていたわけではなく、せいぜい微有利という範疇でした。しかしオランダは同時期にフランスからも攻撃を受けていたため、うまくイギリスに戦力を割くことができなかったようです。
ミヒール・デ・ロイテルが活躍したのは、その逆襲を受けている最中のことでした。彼は限られたリソースを駆使して、目覚ましい戦果を上げていきます。国を挙げての全力の戦いではなく、持っているものを効率よく使って勝つ!それが『提督の艦隊』の醍醐味でもあります。
【解説】登場人物の書き分けがやや甘い
本作はかなり誠実な歴史映画であり、単なる戦争映画ではありません。そして、中・近世のヨーロッパの戦争というのは、必ずしも全力で戦うものとは限りませんでした。モンゴル人やムスリムのような非ヨーロッパ人と戦う時は別としても、ヨーロッパ人同士で戦う際にはぶつかり合う前後の政治関係もまた重要だったんです。その雰囲気を考慮してか、本作はイギリスとの戦争と同じくらい、オランダの内政も表現しています。
繰り返しになりますが、これは歴史の表現としては正しいんです。しかし映画としては、まとまりが悪いと言わざるを得ないほど風呂敷が大きくなってしまいました。二時間足らずの尺ではカバーできないほど人物の数が多く、「最後まで観ても誰が何の人だかわからなかった……」ということになりうるほどです。
もしこれが英米の歴史映画だったら、『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』のように、人物描写のバランスをよりわかりやすくして、重要な人物のキャラクターを際立たせていたことでしょう。歴史的な整合性を失いかねないため、絶対にそうすべきだったとは言えませんが、その方が娯楽性が高くなったのは確かです。
以上の事情も踏まえ、以下では劇中よりも詳しく人物についてまとめてみます。
ミヒール・デ・ロイテル
本作の主人公です。上で述べた通り、昨今のオランダでは英雄として称えられています。
11歳で船乗りになり、15歳でスペインとの戦争に参加したのち、トロンプ指揮下で第一次英蘭戦争を戦います。映画では1653年に前任者から海軍提督の座を託されたところから、彼が1676年に亡くなるまでを描きます。
ヨハン・デ・ウィット
1653年に28歳でホラント州の法律顧問に選出され、1672年のクーデターにより辞任に追い込まれるまで、オランダの政治のリーダーを務めていました。
数学的に優れた頭脳を持っており、オランダ黄金時代の立役者の一人となりましたが、1672年の第三次英蘭戦争勃発時にとあるミスが発覚して窮地に立たされます。
ウィレム3世
オランダ独立の中心人物であったオラニエ公ウィレムの子孫である父と、イングランド王家スチュアート朝の母をもつ王族です。開幕地点では、ウェストミンスター条約によってオランダの政治的トップに立てないことになっています。
ウィレム3世は本作の後の方が有名で、仏蘭戦争でオランダを守った後、名誉革命によってイングランド王を兼任します。さらに権利の章典を受け入れて、イギリスに立憲政治をもたらします。
彼はこれによってイギリスとオランダが協力して強国フランスに抵抗する構図を作るつもりでいたようですが、実際にはイギリスとオランダの立場を対等にすることができず、次第にオランダを没落される結果となってしまいました。
マールテン・トロンプ
第一次英蘭戦争時に海軍提督を務めていた男です。冒頭で戦死します。
彼には海軍内にコルネリス・トロンプという息子がいるのですが、非常にややこしいのがコルネリス・デ・ウィットという同じ名前の人物が出てくること!コルネリス・デ・ウィットはヨハン・デ・ウィットの兄なのですが、気をつけないとどちらを指しているのかわからなくなるときがあります。
映画のミスというよりは、日本語字幕の配慮が足りてないですね。どちらのコルネリスかわかるよう、フルネームで呼んでほしかったです。
チャールズ2世
ピューリタン革命とオリバー・クロムウェルによる独裁が行われた後のイギリス王です。
宗教関連でときどき口を挟むだけで基本的には政治を議会に任せており、女遊びばかりしていました。スチュアート朝の人間であり、ウィレム三世のおじに当たります。
以下からネタバレありです!
【ネタバレ】突然の暴力シーンにびっくり。でもこれが史実
1654年に海軍提督となったロイテルは、イギリスとの海峡に適応した大型船と、陣形を素早く整える信号旗によって第二次英蘭戦争を有利に運びます。劇中の描写はありませんが、1666年にイングランドはアヌス・ミラビリスという災禍に見舞われ、さらなる打撃を受けます。これはロンドンにおけるペストの大流行と、都市を様変わりさせた大火事を指す言葉です。ロンドン市内の家屋のうち85%が全焼したらしく、イングランドは経済的に大打撃を受けていました。
追い打ちをかける形で、1667年にヨハン・デ・ウィットはミヒール・デ・ロイテルへ夜襲を仕掛けさせます。メドウェイ川襲撃と呼ばれるこの作戦により、イングランドは主力艦を数多く失い、事実上の敗北を喫します。
しかしイギリスは、オランダへの攻撃を諦めてはいませんでした。一度は講和条約を結んだものの、後にフランスと密約を交わし、二か国による同時攻撃を仕掛けてきたのです。それまでヨハン・デ・ウィットは海上で貿易し、イギリスと戦うことしか考えていなかったため、陸軍をほとんど育てていませんでした。そのため瞬く間に国土をフランス軍に占領されてしまい、ヨハンはこの事態を激しく糾弾され辞任します。同じ頃ヨハンの兄コルネリスにウィレム3世暗殺の疑いがかけられており、ある日二人一緒にいたところを民衆に虐殺されてしまいます。
この虐殺シーンがあまりにも突然のかつ論理的ではないため、誰もが驚くと思います。急にグロテスクになるため、脈絡がないとさえ言えます。でもこれ、実際にあったことなんです……!ウィット兄弟は本当にそれだけのことで殺され、内臓を引きずり出されてしまいます。現代の秩序に慣れた私たちからすると、本当に意味不明ですよね。
なので、どうしてああなってしまったのかも、はっきりとはわかりません。ただ17世紀半ばというのは、西欧史的には魔女狩りのピークでした。そのため、あのように不条理な殺人がある程度あったのは確かです。むしろ18世紀にまでなるまで、人は真っ当な秩序を意識できなかったと言えるのかもしれません。
そんなことがあった後も、ロイテルは海で奮戦します。しかしある程度勝った後はウィレム3世に親しい政治家(オラニエ派)から疎まれ、地中海に左遷されて戦死します。才能も戦果も上げていながら、最後は政治に翻弄されて殺されるんですね。源義経にもあるような、はかない英雄のロマンを感じさせます。
【評価】ものすごくニッチ。だがそれがいい
『提督の艦隊』は、コアな需要に応えてくれる映画です。並みいるカップルが週末に観るような、ハリウッド超大作のような口当たりの良さはありませんし、それに比肩する演出力もありません。後半の暴力シーンの分、誰でも気楽に観ていいものにもなっていません。
それでも、知られざる歴史の一ページを誠実に表現した姿勢は高く評価できます。本作に触れなければ絶対に知ることのなかった過去を感じることができるはずです。元から近世史に興味のあった方はもちろん、普通の世界観に飽きた方にも、新しい体験を与えうる一本になることでしょう。
(Written by 石田ライガ)