映画『鋼の錬金術師(実写版)』は、錬金術師の成長と戦いを描いた大人気コミック『鋼の錬金術師』の実写化映画です。大人気原作ということ、また初の実写化という事もあってインターネット上ではさまざまな物議をかもした作品として知られています。
ただ、放送当時ではなくあえて今本作を振り返ってみることで、本作の評価を冷静な状態で下してみたいと思います。
なお、筆者は「ハガレン」シリーズのファンであり、必然的に原作やアニメ版との比較が多くなっていきます。そのため、初見の方の感想や考察とは異なることをご承知ください。記事の構成上ネタバレも含みます。
目次
映画『鋼の錬金術師(実写版)』を観て学んだこと・感じたこと
・やはりハガレンの実写化は難しかったか…
・少ないながら演技が光るキャストの存在も
・原作をあまりにも改変しすぎては実写化の成功はあり得ない
映画『鋼の錬金術師(実写版)』の基本情報
公開日 | 2017年12月1日 |
監督 | 曽利文彦 |
脚本 | 曽利文彦 宮本武史 |
原作 | 荒川弘 |
出演者 | エドワード・エルリック(山田涼介) アルフォンス・エルリック(水石亜飛夢) ウィンリィ・ロックベル(本田翼) ロイ・マスタング(ディーン・フジオカ) エンヴィー(本郷奏多) ドクター・マルコー(國村隼) |
映画『鋼の錬金術師(実写版)』のあらすじ・内容
母を亡くした錬金術師のエドワード・エルリックとアルフォンズ・エルリックは、禁忌とされていた人体錬成を行なうことで母を生き返らせようと画策しました。
しかし、その結果は失敗に終わってしまい「錬金術は等価交換」という原則によりエドの足とアルの身体が奪われる結果になってしまいます。エドの機転によってアルは近くの鎧に魂のみを定着させたことで、なんとか一命をとりとめましたが、二人は多大なる犠牲を払う事になってしまいました。
そして時は流れ、彼らも成長して有力な錬金術師と目されるようになります。特に、エドは史上最年少で国家錬金術師という立場を手にするほど高く評価されていました。
こうして力を手にしたエドとアルは、自分たちが失ったものを取り返すために旅に出ることを決意します。彼らが追い求めるものは、伝説の万能アイテム「賢者の石」でした。
この賢者の石をめぐる旅の中で、彼らはさまざまなものと出会いながら成長していくことになります。
映画『鋼の錬金術師(実写版)』のネタバレ感想
ネットで酷評されたキャスト陣だが光る演技をする俳優も
本作の公開が決定した直後、キャラクタービジュアルが公開されたことでネットが炎上したことを覚えている方も少なくないのではないかと思います。実際、恐らく西洋人をモデルにしたであろう各キャラクターを日本人俳優が演じたことで「コスプレ感」が強かったこと、人気で売り出し中の俳優を配役した弊害として、キャラクターに人選がマッチしていないことなどが批判の対象であったように感じています。
そして、このあたりの公開前の印象については、残念ながら映画を観た後もそれが一変するという事はありません。やはり、ビジュアル面の弱さはどうにも改善することができなかったようで、キービジュアルの難点がそのままスクリーンに映し出されてしまっていた印象が否めませんでした。このあたりは、後述するように本作で求められる世界観に対してCGの技術力が足りなかったということもあるので、一概にキャストを責めることはできないという側面もあります。
ただ、キャストの「演技」という部分に関しては、前評判であれほど叩かれたわりにはそこまで悪いとは感じませんでした。主演の山田涼介はジャニーズのタレントという事もあり、ネット上ではキャスティング非難の槍玉に上がっていました。しかしながら、彼の演技は「名演」とまではいかないものの、良くも悪くも無難に演技をこなしていたという印象があります。そのため、一定の演技力は証明できたということになるのではないでしょうか。
また、演技という点に関して言えば脇を固めていたベテランの俳優陣はやはり安定した光る演技を見せていました。特に、タッカー役を務めた大泉洋などは流石に名優なだけあってしっかりと「らしさ」を表現できていたように思います。
さらに、鎧の中でアルの声を担当した水石亜飛夢も、キャリアは浅いながらも光る演技をみせていたように記憶しています。アニメ版では人気声優の釘宮理恵が声優を務めているということもあってキャスティングへの風当たりも強かったですが、ここに関しては慣れてくれば特に違和感なく聴ける部類に入ると思いました。
キャスティングはあれほど炎上したことを思えば、その期待値は上回っていたといえるでしょう。ただし、あくまで「炎上の割に」という冠詞がつくことからもわかるように、後述する本作の問題点を解消できるほどのものではありません。
CGに力を入れていることは理解できるが見せ方に課題
本作の出来を心配する声として早くから上がっていたのが「ハガレンの世界観を実写で再現できるのか」という点でした。実際、街並みや装飾品は欧州を想起させるものであり、さらにはキャラクターの戦闘シーンでもCGを使わなければ到底再現できないものが多かったからです。
こうした懸念は制作会社にも当然ながら存在したようで、それは監督に曽利文彦という人物を採用していたことからもわかります。この監督はもともとVFXを得意とする人物であり、本作で必要とされる分野に長けた能力をもっていました。そのため、当の本人も本作のCG再現にはかなりの自信をもっていたようで、インタビューなどにおいてもその自信をのぞかせていました。
こうした経緯で本作のCGは「専門家」が主導する形で用いられることになったのですが、その出来は「良いところもあれば悪いところもある」というのが率直な感想です。まず、良かったと思う点は「あくまでCGでの表現にこだわっていた」という点でしょう。日本のCG技術がなかなかハリウッドには追い付けていないという現状は映画ファンならよく知っていることかと思いますが、それゆえに日本映画では「そもそもCGを使いたがらない」ということも珍しくありません。その理由は単純で、CGを用いるということは時間や予算を莫大に投じる必要があるからです。それゆえに、日本の映画は極力CGを節約して使いたがらない傾向にあります。
しかしながら、本作は他の実写化作品に比べても積極的にCGを用いているという事実があります。そのため、「ここはCGで表現すればいいのに」と思うことはほぼなく、浮世離れした世界観をなんとか現実に馴染む形で描こうとした努力は買うべきだと感じます。
次に、悪かったと思う点は「そもそもCGの見せ方がいまいち」という点です。確かに
本作はCGを多用していたのですが、数が多かったためか一つ一つのクオリティにかなり差があったという印象です。例えば、マスタングが火を放つ演出や錬成陣を発動させる場面ではCGが上手に使われていましたが、一方で壁を錬成して攻撃を防ぐ場面や石の柱に襲われる場面のCGは非常にチープに感じられました。
ここから分かることは、CGのクオリティが低いというよりもCGを用いた場面の演出や、カメラワークに問題があったと考えるのが妥当という事です。チープに感じられたシーンは、「動き」を必要とする戦闘シーンであることが多く、演出やカメラワークのセンスが問われる場面でした。そのため、CG技術そのものに問題があるというよりは、その見せ方に問題があったといえるように思えます。
【解説】脚本は「ファン向け」か「初心者向け」のどちらかに絞るべきだった
ここまでも本作を高評価しているわけではない記事になっていますが、個人的に一番致命的だと感じたのは脚本部分です。そもそも、ハガレンという比較的複雑な作品を2時間でまとめるということが難しい課題であることは確かです。それゆえに、脚本家が頭を悩ませたであろうという点については擁護しなければなりません。
ただ、それらを差し引いたとしても、本作のストーリー部分は決して褒められたものではありませんでした。まず、当然ながら原作は大幅に改変されており、数々の名シーンが削除されています。さらに、構成の都合上「特に改変する必要がなさそうな」部分まで改変されてしまっているという問題点があります。もちろん、2時間という尺で物語を描ききるには取捨選択が欠かせないのは事実ですが、その選択そのものに判断の誤りがあったことは否めません。
また、それだけシーンを削減したために、突然登場する専門用語に関する説明が明らかに不足しているという欠点があります。筆者のように原作を元々知っているファンであれば設定が頭に入っているのでまだいいのですが、数々の原作改変から初見の観客もターゲットとしていることが予想されるにもかかわらず、この説明不足はいただけません。
こうした数々の欠点が生まれてしまった背景には、「そもそも描こうとしたエピソードが多すぎる」という構成上の問題が隠れています。本作は短い尺しか用意されていないにもかかわらず、原作のかなり進んだ展開までを取り入れようとしました。それゆえに数々のシーンを改変せざるを得ず、また説明不足感が生じてしまったことが予想されます。ここに関しては、エピソードや設定を「欲張ってしまった」という意味で人為的なミスだと感じます。
本作のストーリーは「ファン向け」か「初心者向け」に的を絞って展開するべきだったといえるでしょう。ファン向けに作るのであれば原作を重視しつつ、専門用語は理解されているものとして原作の再現に努めるという選択ができました。
また、初心者向けに作るのであれば、表向きの設定だけ拝借して2時間の尺で解決できる短めのストーリーと世界観の説明を入れていくべきだったのです。これらがごちゃまぜになってしまい、原作ファンと初心者のどちらにもそっぽを向かれてしまったのが本作の問題点でしょう。
【考察】「ステマ」や「サクラ」騒動など、公開前の風評が痛かった
ここまで見てきたように、本作は決して高く評価できる映画でないことは残念ながら間違いありません。ただし、本作は公開前から至るところで炎上しており、そもそも映画の出来とは関係ない部分で不当に評価を下げていたのもまた事実です。そのため、ここではそうした騒動が映画の評価に与えた影響を考えていきます。
まず、ことの発端は投稿型大手映画レビューサイトで、本作の評価が公開前にもかかわらず急上昇していたことです。もともと本作はキービジュアルが公開されていた時点で批判の対象になっていたので、この事実は瞬く間にネット中へ拡散されていきました。さらに、そのレビュー内容もたどたどしい日本語で記されていたものが多く、「制作側が業者を雇ってレビューを書かせたのではないか」という疑念が持ち上がってしまったのです。これはネット界隈であれば「ステマ(ステルスマーケティング)と呼ばれ、現実で馴染みのある表現では「サクラ」と呼ばれる行為に相当するため、映画の予告も相まって批判の対象になりました。
ただし、この騒動については確たる証拠はなく、あくまでレビュー内容を怪しまれたというのが騒動の発端です。実際のところは誰にもわからないというのが現実なので、当然この記事でもその部分についてはグレーという扱いに留めます。そこを検証しても、水掛け論になってしまいますからね。
とはいえ、こうした一連の騒動が公開後の酷評に拍車をかけたのは事実でしょう。実際に、本作のレビュー記事は大半が批判一辺倒に終始しており、レビューサイトの得点も見るに堪えないものとなってしまっています。こうした批判の背景には、映画の単純な出来だけではなくネットの炎上も多分に影響しています。実際、実写化があまり上手にいかなかった作品は枚挙にいとまがないわけで、それは何も本作だけの問題ではありません。
つまり、本作の失敗を「本作に携わった人物たちが悪い」と決めつけるのではなく、そもそも本作がつくられることになった背景や制作側の事情など、映画界全体の問題として考える必要があるように感じます。
【考察】実写化向きではないハガレンを実写化せざるを得なかった事情
前項でも触れたように、本作の失敗を携わったスタッフやキャストに非難を集中させてしまっている状態は問題だと感じています。そもそも、ハガレンという作品自体実写化が困難になるという事は容易に予測できた事態です。
CGを要すること、欧州的な世界観をもっていること、設定が複雑なこと、原作が比較的長期にわたっていること、など挙げていけばキリがありません。しかし、それでも本作を実写化するという決断がなされたのです。その背景には、日本の映画界をとりまく複雑な問題が見え隠れしています。
結論から言えば、実写映画を作成することは映画関係者にとってメリットづくしなのです。まず、制作会社からすればオリジナルの作品よりも知名度があるため、公開劇場やスポンサーを集めやすいという背景があります。当然、彼らに関してもこの逆のメリットがあります。
さらに、現場の製作スタッフにとっても既に存在する設定や世界観をそのまま使うことができるので、一から設定を考える必要性がなくなります。そして、極めつけは原作の知名度が影響して必ず映画そのものも注目を集めるため、興行収入が上がりやすいというメリットもあります。原作付き漫画やアニメの実写化は非常にメリットの多い映画化であるため、実写化映画の割合は年々増加しているという事実もあります。
ただし、この実写化ブームの弊害として、制作会社による「元ネタ争奪合戦」が繰り広げられているという現実があります。それゆえに、実写化できそうなものは大抵実写化が済んでしまっている、あるいは原作者の許可が出ないために、どんどん手を広げて元ネタを探さなければならないのです。ここからはあくまで想像ですが、そうした背景からハガレンの実写化に食指が動いたのでしょう。
ここからも分かるように、実写化映画ブームにはいつか限界が訪れます。その時になってみると、実写化ばかり担当していた製作スタッフばかりが映画界に存在して、オリジナルを作れるスタッフもそれを許してくれる配給会社も存在しなくなってしまうという危険性をはらんでいます。
実写化映画でお茶を濁すのが悪いことだとは言い切れませんが、来るべき実写化ブームの限界を見据えて、映画界も異なる局面を迎えるタイミングが近づいているのではないでしょうか。